釈迦に説法かも知れぬが……〜自衛隊批判に「せこい」。使い方が違う

 関西弁で「せこい」という言葉があります。「ずるい」というような意味でしょうか。陸上自衛隊出雲駐屯地が今年も、出雲市の中心部で戦闘車両などを使ってパレードすると聞き、思わずこの言葉が浮かんできました。

 そもそもは新出雲市の合併記念という名目で一昨年、初めて市中パレードが行われました。抵抗があった人も「新市の誕生記念だから」「今年限りのことであれば」と思ったかもしれません。

 ところが昨年も市中パレードは実施され、今年も20日に行われます。「駐屯地開設記念日の行事としてなじんできた」「市民から強い要請があった」との理由のようですが、既成事実を積み重ねての実施としか思えません。そのあたりが何とも「せこい」と感じる理由です。

 自衛隊の活動を市民に見てもらい、理解を深めてもらおうとの試み自体は否定しません。ただ、住民の中に疑問や反発の声があるにもかかわらず、戦闘車両を使って、街の真ん中で白昼にパレードしないと理解してもらえないものでしょうか。

 阪神大震災の直後、救援に駆けつけた自衛隊員に、今でも感謝の気持ちを忘れていない被災者は多数います。震災だけではありません。さまざまな自然災害に遭った被災者が、自衛隊員の救援に感謝こそすれ反発を感じたなどという話を耳にしたことはありません。そんな人たちの声を多数聞いてきたからこそ、反発の声がある中での市中パレードに何かわだかまりが残ります。

 第二次世界大戦末期、大阪から島根県内に集団疎開してきた多数の元児童から当時の話を聞きました。ある人はこんな話をしてくれました。当時は、軍艦を見て「かっこいいなあ」「乗ってみたいなあ」と思ったそうです。しかし、空襲で肉親や友人を失い、自宅を焼かれた経験を経て思うことは、「軍艦は決してかっこいいものではない。戦争はかっこいいものではない」と子や孫に伝えることだといいます。

 「好評だから春にもパレードしては」

 「せっかくだから月に1度はやれないか」

 「市民に存在をアピールために、毎日でも街中で見てもらえるようにできないか」

 「せこい」の先にあるものを心配するのは杞憂なのでしょうか。【松江支局長・松本泉】

毎日新聞 2007年10月13日

http://mainichi.jp/area/shimane/news/20071013ddlk32070676000c.html

「せこい」は管理人も度々使う言葉だ。だが、この記事の「せこい」の用例は正しいとは考えられない。もし、陸自側が「一度きり」と云っておいて翌年もそ知らぬ顔でパレードを続けたとすればそれは「せこい」。しかしながらこの記事を読む限りそのような事実はなさそうだ。昨年、そして今年のパレードも市側との合意があってのことと、記事からは読み取れる。それを「せこい」と評するのは用法を間違っている。
「せこい」の用法を分かりやすく伝えるために下のような例文を考えてみた。
亀田家の試合の組み合わせは「せこい」。
それを食い物にするTBSも「せこい」。

「せこい」の使用圏内にいないかたにもニュアンスはお分かりいただけたはずだ。
そして、『既成事実を積み重ねての実施』など誤解を招きかねない言葉を使い、まるで「一年だけの約束」を「毎年強行しようとしている」ように事実を捻じ曲げようとしているこの記事もまた「せこい」。
反発があるとも云うが、これは毎日新聞お得意の「サイレント魔女リティ」(ふるいか)ではなかろうか。自衛隊はその歴史から国民の雰囲気を読むのに敏だ。自分たちの不利益になるような公報手段は一切とろうとしない。その歴史が血となり深く刻まれているのである。反発の声が大きくなりそうな時点で、自衛隊はパレードを取りやめるであろう。大きな反発はないと見ていいと管理人は考える。
そして軍艦云々の話題をもってきたことが「反発」では批判しきれないことの現れであろう。
パレードだけで「開戦」まで妄想を膨らませるとは、お見事の一言だ。




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鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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