反原発と響きはいいけど

過日行われた、「さようなら原発」集会なる反原発デモ。ノーベル賞作家・大江健三郎氏(朝日新聞記事ママ)らが中心となって企画し、東日本大震災以降、反原発活動で知名度はさらに上がったものの仕事は減った俳優・山本太郎氏らたくさんの著名人が参加したこのデモは当然ながらマスコミでも大きく報じられました。
参加者は、主催者発表で6万人、警視庁発表で3万人だったそうです。いきなり余談ですが「デモの参加者数」、以前は主催者発表を無批判に報じることが当たり前でした。ですが、沖縄県でのさる反米軍集会における主催者発表数と共に複数のメディアが「全県民集会」などと書き、沖縄県民全体の民意のように報じたため、ネットを中心に疑問が広がりました。「検証」した結果、警察発表や掲載された写真といった実態とはかけ離れたものだったことが判明しました。これ以降、マスコミがデモの参加者数を報じる際は主催者発表と必ず前書きをし警察発表もあわせて載せるようになったのです。おそらく、ネットをバカにしていた(もちろん、今でも新聞を中心にネットはバカにされています)大手マスコミが初めて直面し、方向転換せざるを得なくなった事例がこの「デモの参加者数」なんじゃないですかね。あの時も、主催者発表と警察発表は万単位で違っていたなぁ。どうやって数えてるんですかね、どちらともですが。


東日本大震災後まもなく、朝日新聞は自社での「世論調査」における民意の「反原発」転換報道とともに、社としての立場も明確な「反原発」へと舵をきりました。そもそもが「左」であり、この転換には違和感などありませんでしたが、新聞社が明確な主義主張の変更を行う瞬間を目の当たりにした管理人は、このように変わるのか、と目から鱗でした。なにせ、東日本大震災以前は、ここまでご執心でなかった原発問題に対して、一面トップでの「世論調査」公表を宣言として一気に反原発記事や社説が増えましたから。まぁ、バスに乗り遅れるな、というやつなんでしょうね。もちろん、潜在的に多数存在した「反原発派」社員・記者が社内における原発政策へのヘゲモニーをとったんでしょうが。
そんな朝日新聞ですから、このデモに関しても非常に好意的に報じます。
25日付の朝刊記事でも3面で直接民主主義との兼ね合いを引き出しながらこのデモを報じています。労組などが普段からやっているイデオロギー色の強いデモとの違いを強く主張し、牧歌的な雰囲気の中、老若男女多数の一般市民が参加しこれが潜在的な民意の爆発だと言わんばかりです。もちろん、そういった一般市民が多数参加し、「怖い」原発をなくしてくれという主張はあります。ただ、このデモや全国各地で行われた同様の連帯デモの主催者、呼びかけ人を見る限り、このデモが牧歌的で素朴な民意の表れであるとは素直に思えません。
この手のデモを強く後援、場合によっては主催している方々の中には多数、東日本大震災以前から「反原発」を訴えている団体や個人がいます。その最たるは労組です。
彼らの根拠は、今のような原発事故とそれによって引き起こされる放射能汚染による健康被害ではありませんでした。冷戦時代から彼らの主張の一つであった反原発の根拠は、「日本の核武装を防ぐ」というものでした。わからない人には、訳が分からない主張かもしれません。ですが彼らはそう考え「反原発」を半世紀近く言い続けていたのです。いわゆる「東側の核は綺麗な核」という暴論と根底は同じでした。

以前から原発そのものの安全性に疑問を呈し続け、その論拠をもとに反原発を言い続けていたのは現在脚光を浴びている京都大学小出裕章氏ぐらいのものです。労組など、既存の反原発団体は原発の安全性という点にはあまり興味がなかったため、長く存在する「反原発」闘争にも呼ばれず、氏の名前は表に出てこなかったのです。
どちらにせよ、「原発廃止」という目的が同じなのだからいいではないか、と思われる方もいるかと思います。ですが、民意のミスリードが良い結果を招いたことはありません。その最たるがナチスドイツでした。ああ、ナチスドイツを引き合いに出したら簡単にレッテルが貼れるなと思いつつも、この懸念は払拭できるものではありません。
橋下大阪府知事も、大阪府にはない原発に関して声高に批難を行い自身の人気取りに使うかのような振る舞いを行なっています。菅直人前首相も政権末期は「脱原発依存」による政権維持を必死に図り続けていました。その姿はまるで「脱原発依存」依存と言うべきものでした。

地震国である我が国が多数の原発に依存しすぎるのはたしかに問題です。東電の対応もそれはひどいものでした。「公益企業」という立場にあぐらをかき、何をしても潰れることはないとタカをくくった対応とあまりにも間抜けな不手際が反発と不信を招き「反原発」に火をつけたといっても過言ではないでしょう。ですが、大きな問題はその運用形態にあったとみるべきではないでしょうか。不思議なことに報道されないのが、原発を仮に今すぐに止めたとして、放射性物質がなくなるわけではない、ということです。怖さから「反原発」を訴えている方々はこの事実をどう考えているのでしょうか。東日本大震災において直接的な被害を受けたのは非常用電源でした。原子炉が直接被害をうけたわけではありません。

朝日新聞は今朝の社説でも、東日本大震災後の菅前首相の自然エネルギーへの転換政策を「野心的」と評価しています。ですが、あの政策に現実的なプラン、計画、ロードマップといったたぐいのものは一切ありませんでした。鳩山元首相がぶち上げた「CO2 25%削減」と同じような「策のない」政策でした。このようなものは政策とは呼べません。菅前首相は東日本大震災後、私は風力発電への夢を昔から追い続けていたなることを言っていましたが、一方で首相就任後まもなく行なったことは原発推進政策だったことは余りにも有名です。ソフトバンク率いる孫社長が提唱した大規模ソーラー発電もその後の進展は聞き及びません。先日、今年の最安値を記録したソフトバンクはそちらへの対応に追われることになるでしょう。

上に書いたデモの主催団体である「さよなら原発1000万人行動アクション」のサイトを見ました。ツイッターの欄でリツイート(?)されているものの中に宮腰吉郎氏の「イランは去年、日本にこんなことを言っていた。◆「日本が保有する大量のプルトニウムや高濃縮ウランは深刻な懸念だ」(朝日)」なるツイートがありました。このツイートは元記事の内容とはかけ離れた印象を与える部分のみを引用したものです。国際社会はこのイランの言い分に誰も耳を傾けてはいません。朝日新聞での見出しも「イランが日本批判 厳しいIAEA天野氏に腹いせ?」となっています。イランの苦しい言い掛かりを宮腰氏はまるで正当な言い分と言いたいかのようです。
当の朝日新聞は今朝の「ザ・コラム」にて吉田文彦論説委員の主張を載せています。内容は、国際社会における核の闇ルートへの批判が軸です。ですが、そのルートを断つための国際的な枠組み構築に際して六ケ所村のウラン濃縮施設を国際管理のもとに置くことを起点にすべきと書いています。我が国のウラン濃縮施設から核兵器へ転用可能なウランが流出した事実がないにも関わらず、いや我が国が戦後兵器を輸出した事実がないにもかかわらずです。国際社会は誰も六ケ所村から核の闇ルートへとつながっているなどと考えていません。白いものをわざわざ黒かったかのように見せるなど、国益を損ねるだけです。六ケ所村のウラン濃縮施設が国際管理下におかれたからといって北朝鮮やイランが、国際社会の言うことを聞くことはないでしょう。朝鮮中央通信が「日帝の策動」を非難することは容易に予測できますが。

これからも強く原発政策を推進すべきだなどとは言いません。エネルギー安全保障の観点からも正しいとは言えないでしょう。我が国近海に眠る天然資源開発もこれからさらに進むことになるでしょうし、技術革新も考えられます。ですが、短期的に見て、このまま単純に原発をなくせという主張には同意しかねるのです。
そして、純粋な「反原発」の影に潜む輩や、隠れ蓑にされて行われる主張に厳しく目を光らせるべきでしょう。