安倍首相訪印まとめ〜一部報道機関・政党の過剰反応/朝日新聞編

昨日書いたように朝日新聞を中心に、安倍首相訪印への「ケチ」をまとめたいと思う。願わくば船橋洋一主筆に読んでいただきたい。

まず管理人がこの件に興味を持ったのは8月26日日曜日の朝日歌壇に掲載された次の句である。

援助言う時だけ拍手鳴り響き
広島市 山内乙丙
△インド国会

安倍首相は歓迎されていないのかと思ったが、やはり朝日新聞であった。外務省の安倍総理のインド訪問(概要)(平成19年8月21日〜23日)において、安倍首相のインド国会での演説の反響に関してこう書いている。

(2)反響

国会は、シン首相、アンサリ上院議長、チャタジー下院議長臨席のなか、上下両院議員によって満席であり立ち見が出るほどの盛況であった。また、アドバニ野党下院リーダー、ジャストワン・シン元外相、グジュラール元首相を始めカピル・シバル科学技術相現職閣僚多数を含む有力な政治家も顔をそろえており安倍総理のスピーチに対するインド側の高い期待が伺われた。
安倍総理のスピーチに対しては、聴衆より随所で30回以上の拍手が起こり、スピーチ終了後は聴衆が総立ちとなるスタンディングオベーションとなった。
演説後、シン首相、アドバニ野党下院リーダー、ムカジー外務大臣等より、総理演説は素晴らしい内容であったとのコメントがあった。

これが、外務省による「大本営発表」でない証拠は管理人は掴んではいないが、朝日新聞のネット記事等を見る限り、逆に安倍首相への拍手が「援助」に言及したときのみであったなどの事実は見当たらなかった。
この句と朝日歌壇選者のことばを信じる限り、安倍首相はインド国会での演説で30回「援助」について言及したことになる。そんな莫迦な話は常識として考えられないし、また、演説内容や報道に接する限り、そのような事実は聞いていない。
つまるところ、朝日歌壇の歌は事実に背いている、「捏造歌」であるのだが、まさか選者一人に責任を押し付けるのであろうか。
これ以上詳しい論評等は、歌壇ウォッチが専門職である【朝日歌壇鑑賞会】さんに譲るとして*1、このような句が選ばれ捏造された「注釈」が添えられていることを頭の片隅にとどめいておいた上で、続きを読んでいただきたい。

朝日新聞の社説〜恥も外聞も無く「支那さまが」と大童

 米国とインド、それに豪州。自由と民主主義という価値観を共有するこれらの国と連携して事に当たる。それが安倍首相が唱える価値観外交である。

 首相にとって、インド訪問はその実践と言えるものだった。だが、価値観を共にする相手であっても、国益の違いを乗り越えるのは容易でないことを思い知らされたのではないか。

 「自然界に畏(おそ)れを抱く点にかけて、日本人とインド人には共通の何かがあると思わないではいられません」

 安倍首相はインド国会での演説でこう述べ、自らが提唱する「美しい星50」への賛同を求めた。地球の温暖化を防ぐため、温室効果ガスの排出を2050年までに今の半分に減らす構想である。

 温暖化防止が世界共通の課題であることには、インドも異論はない。シン首相は京都議定書後の枠組み作りへの参加を「真剣に考慮する」と応じた。

 ただし、インドにとっては経済をさらに成長させて貧困層を減らすことが、温暖化防止と並ぶ重要課題である、と付け加えることも忘れなかった。

 いま温室効果ガスの削減義務のないインドのような途上国に、今後どのような義務を負ってもらうのか。具体策に踏み込もうとすれば、難しい交渉になることを予感させる会談でもあった。

 国益の違いをさらに強く印象づけたのは、米印の核協定問題である。

 インドは核不拡散条約に未加盟のまま核実験を強行した。ところが、米国は査察を条件に民生用の原子力技術や核燃料を提供する協定に合意した。フランスやロシアも追随し、インドを核不拡散の例外扱いにする動きが広がっている。

 首脳会談でインド側は米印協定への支持を求めた。これに対し、安倍首相は「唯一の被爆国として核不拡散体制への影響を注意深く検討する」と述べるにとどまり、態度を保留した。

 理解しがたい対応である。被爆国の首相がこんなあいまいな態度を取っていいはずがない。大切な友人であっても、言うべきことは言う。核不拡散問題では譲歩できない、と明確に伝える。それが日本の役割ではないか。

 そもそも安倍首相の価値観外交は、中国包囲という色彩を帯びている。

 03年度以降、インドは中国に代わって円借款の最大の受け取り国になった。価値観外交の展開に伴って、援助額はさらに膨らんだ。

 しかし、日本にとって中国が持つ重みは、インドとは比べものにならない。在留邦人でみれば、中国が10万人を上回るのに対し、インドは2000人ほどだ。相互依存の度合いが全く異なるのだ。

 中国を牽制するテコにインドを使うような外交は見透かされる。インドにしても中国との交流を深めており、利用されることに甘んじるような国ではない。

 価値観を声高に唱えるような一本調子の外交は考え直した方がいい。

http://www.asahi.com/paper/editorial20070824.html#syasetu1

「すれ違い」と大見得を切ったタイトルをつけたが、しかし、外務省の報告に目を通す限り、そのようなことはなかったのでは、という疑念のほうが強まる。もちろん、これは主観の問題であり、もしかしたら朝日新聞は管理人以上に安倍首相の訪印、及びインド側の反応、つまるところ、その成果を期待していたのであろうか。そして、その成果に満足がいかないゆえ、このタイトルをつけたのか。
しかしながら、訪印前の社説やこの社説、更には前述の歌壇の採用歌を見る限り、その逆であろう。「成果」なんぞ一切期待せず、それどころか訪印そのものに反対する朝日の姿勢はありありと窺えた。上記の歌が出来る土壌にも朝日新聞の報道があったと見るのが妥当ではなだろうか。朝日新聞に投稿してくる方である。少なくとも朝日読者であろう。そのような人が、事実に反した情報をどこで得たのか。朝日新聞が歌壇で肯定している以上、朝日新聞で得た可能性は非常に高い。この状況証拠から見ても、朝日新聞は安倍首相の訪印を苦々しい気分で見送ったのではないか。
そしてインド国会での演説を終えたのちはこの社説である。全体的にネガティブな印象を与えてくれるこの社説であるが、外務省の報告とは全く趣を逆にしている。
外務省の発表を鵜呑みにするのも危険であるが、今回の件でも前科をこしらえた朝日新聞を信じるよりはマシであろう。また、外務省の報告はインド政府や大使館も目を通すはずであるし、間違いがあれば指摘され訂正されるはずだ。今日現在、そういった動きは無いために、外務省の報告を基礎に置き、書かせていただく。

朝日は、安倍首相が『価値観を共にする相手であっても、国益の違いを乗り越えるのは容易でないことを思い知らされた』理由として、社説で二つ例をあげている。
一つは環境問題。もう一つは核問題である。
環境問題では、話の取っ掛かりを掴んできたわけである。インドはブラジルや支那と並び、環境問題では先進国との対立を先鋭化していた国である。このような国が歩み寄りを見せてきたのは大きな進歩ではないか。国益に言及するのは国家の指導者として当然である。懸念すべき問題ではない。我が国であっても、国益を念頭に置きつつ環境問題に取り組んでいるわけであるから、ことさら強調することではない。これをして理由とするのは、まさに「ケチ」である。本気で懸念しているのだとすれば、朝日の論説委員はあまりにも国際社会を知らなさ過ぎると云っていい。
次の、核問題にしても安倍首相はインドの核実験にさしたる懸念を示さなかったわけであり、朝日も『理解しがたい対応である。被爆国の首相がこんなあいまいな態度を取っていいはずがない』と安倍首相を叱責しているわけであるが、これが何故、安倍首相の外交構想の挫折となるのであろうか。矛盾しきっている。朝日新聞では日常茶飯事のことなのかもしれないが、市井の人間として指摘せずにはいられない点である。
そして、最後には「支那さまが」の連発である。在留邦人数だけで、国家の軽重を論じられてはたまらない。確かに、日本にとり支那は経済的・安全保障的に重要な国である。しかしながら、軍拡やその戦略構想など日本と衝突する要因は多々あり、しかも支那側から次々と作り出しているわけである。警戒すべき相手でもあるのだ。ただ「友好」の一本調子でどうにかなる相手ではないのだ。その視点が朝日には欠けている。といっても、支那国益の代弁者であるのだから当然ではあるが。
同じく、核兵器に関しても、朝日新聞支那核兵器に何か云うことはないのか。自分が出来ないことを他者に、しかも叱責口調で大上段から云うべきではない。
もっとも、朝日と支那の関係は日本とインドの対等な国家関係ではなく、工作機関とその親玉であるのだから同様に語ることは出来ないのだが。

いずれにせよ、安倍首相の訪印は朝日が書くような惨状とはほど遠いものだったのである。朝日の歴史にまた捏造・歪曲の一件が刻まれたと断じて良いだろう。


よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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*1:今しがた確認したところ、小欄と同趣旨のエントリが投稿されている