新たに朝日新聞主筆に就任した船橋洋一氏の決意〜主筆は朝日新聞を体現するも、そこに報道の「不偏不党」の文字はなし

 新聞を含む世界のメディアは、印刷機を発明した15世紀ドイツのグーテンベルク以来の巨大な技術革新の波に洗われているのかもしれない。情報をタダのモノにしてすべてのみ込んでいくインターネットの津波が押し寄せているようにも見える。

 日本の新聞を取り巻く環境も厳しい。ネット媒体に押されているし、若者の活字離れ、新聞離れが進んでいる。

 そうした状況の中、私はこのたび朝日新聞社主筆の任につくことになった。新たに定められた本社の主筆規定によれば、主筆は「本社ジャーナリズム精神を体現し、紙面と報道の声価を高めることを責務とする」。

 朝日新聞のジャーナリズム精神とは何か。

 私はそれを「権力監視」にあくまで食らいつく記者根性であると思っている。権力を握るのが誰だろうが、どの政党だろうが、暴力装置を持つ権力が、国民の権利を守るのか、侵すのか。国家が人々の心の奥や財布の中にまで手を突っ込んでくることはないか。政府の外交、防衛政策が、日本と世界の平和と安全を高めているか、損なってはいないか。しっかりと見張り、正確に報道していく。戦前、アジア太平洋戦争に対しては誤った報道をし、読者を裏切った。朝日新聞は、戦後、その反省から出直した。「権力監視」と正確な報道というジャーナリズムの原点にいま一度、立ち返る。そして、それを踏まえて、時代の要請により鋭敏に応えるべく、紙面と報道の質を不断に向上させる。それによって「紙面と報道の声価を高める」責任を果たしたい。

 そのために次の四つの新聞像を目指したいと考えている。

 ▼国民の切実な要求に応える新聞。

 環境・安全、雇用・労働、財政・年金、介護・医療、人権、教育、文化、そして、外交と安全保障……それらのテーマを精力的に報道していく。人間の「いのち」と「生き死に」にかかわる事柄とその意味合いを真摯(しんし)に、丁寧に書いていきたい。

 ▼質の高い新聞。

 ありがたいことに朝日新聞はこれまでおおむね「質の高い新聞」との評価をいただいてきた。それは「読者の質の高さ」に負うところも多かったと思う。近年、国民も読者も関心はより専門化し、批評眼もより研ぎ澄まされていると私は感じている。「物足りない」と思われないように朝日新聞は紙面、報道の質をもっと高めなければならない。

 ▼世界と日本を同時代的に共感を持って関連づけることのできる新聞。

 今後、アジアは興隆し、世界は多極化していくだろう。紙面にそうした視角をもっと織り込んでいくことが大切だ。日本が世界の中でよりよく生きていくためには、他者の多様な視点に敏感でありたいし、日本の多様な視点を世界に確かに伝えていきたい。

 ▼国民とともに歩む新聞。

 朝日新聞は、130年近い長い歴史と800万部以上の厚みのある読者層に支えられている。一部の層やどこかの利害の代表ではない。それだけに、国民の共通項を分断しかねない格差拡大、弱者切り捨て、少数派無視には赤信号を点(とも)す必要を感じている。それとともに、国民の文化と伝統の新たな息吹を掘り起こし、日本を再発見し、人々の哀歓を紙面に刻んでいきたい。

 ネットの挑戦にどう応えるか。

 ネットも思い切って活用する。ただ、決め手は新聞ジャーナリズムの再興に尽きる。読者の「知りたいこと」を伝えるのはまさに新聞の仕事だが、読者のそれほど「知りたくないこと」も時に書かなければならない。それがジャーナリズムであると私は思っている。新聞は検索ではない。しばし隣の頁(ページ)にも道草していただきたい。

 ネットの場合、企業が顧客とパートナーになれるかどうかで、事業の成否も決まるという。それは私たちにとっても変わらない。

 読者と真のパートナーとなり、読者との共同作業をもっと試みたい。それによって、新しい声と深い思いと鮮やかなニュースを取り出し、より広範な人々に伝えたい。

http://www.asahi.com/shimbun/release/20070726.html

先日、朝日新聞の使命は権力の監視、といった趣旨を書いたがその元となった記事を引用し少々管理人の思うところを書こう。
朝日新聞はジャーナリズム精神を「権力監視に食らい付く記者根性」と定義し、そのために必要とする四つの新聞像を提示した。管理人はこれのいくつかに疑問を定時猿を得ないし、一部に対しては揚げ足取りとも思えてしまうような矛盾を指摘したい。

ジャーナリズム精神は「権力監視」でよいのか?

はじめから根本的な部分に食らいつく形となるが、ジャーナリズム精神は「権力監視」でよいのだろうか?
こういった、ある種の見方を固定するのは只でさえ、記者の目を通しバイアスのかかってしまう新聞記事を、更に記者の政治思想などの色眼鏡をとおして読者へと送り出すようになると管理人は考える。
ジャーナリズム・マスコミ・報道機関の使命とは、普段から書いてきたことだが「公明正大な事実報道」ではないか?「権力監視」はそれに付随し、派生するものではないだろうか。船橋洋一主筆の言からは、自らが政治を動かそうとするような決意すら感じられる。しかし、政治を動かすのは、民主国家に於いてはあくまで国民である。新聞社といった、一部の勢力が動かそうとするのならばそれは独裁だ。あくまで、新聞報道で事実に接した国民が政治を動かす、時には変えようとする。「憲法9条」と変わらぬ、理想でしかないのかもしれないが、しかし、この理想は追い求めても実害はない。朝日新聞はこの民主主義の基本にして遠大な理想を忘れてはいないか。
船橋主筆『「権力監視」と正確な報道』と二者を並立関係に捉えている。だが、この関係はおかしい。繰り返しになるが、正確な報道に派生して「権力監視」が行われる。また、船橋主筆は正確な報道を「権力監視」の前にもってきた。たまたまかもしれないが、これでは、正確な報道よりも「権力監視」を重要視すると云っているようなものだ。これは明らかに間違っている。もし、「権力監視」を「正確な報道」よりも重視した場合、確信犯的に、記者の政治思想をもとに事実に反した「スキャンダル」を報じる恐れがある。記者はこう考えるかもしれない。
「あの政治家は権力をほしいままにしている。今は国民も騙されているが害は数年後には国民に及ぶ。自分がどうにかしなければ。朝日新聞の使命は『権力監視』だ。よし……」
と。
これは一つの「物語」であるが、実現しない可能性は否定できない。
結局のところ、良かれと思って開戦機運を盛り上げた戦前と変わらないのではないか。この文章にも戦前への反省は書かれている。しかしながらやってることの本質は戦前とかわらないという事実を船橋主筆は理解しているのであろうか。


四つの新聞像への疑問

    • ▼国民の切実な要求に応える新聞。

この姿勢は正しくない。評論家でもある勝谷誠彦氏は以前、朝日は大衆迎合新聞であるから、このまま朝日が云うところの「右傾化」が進めば10年後は今とは真逆のことを書いている、と評していたが、まさにそれを裏付けるような発言だ。
船橋主筆は同欄に、『読者の「知りたいこと」を伝えるのはまさに新聞の仕事だが、読者のそれほど「知りたくないこと」も時に書かなければならない。それがジャーナリズムであると私は思っている』とも書いている。管理人はこの意見に賛成であるし、朝日新聞にこれを実践する勇気があるならば素直に褒め称えたい。しかし、日本語の読める方ならばわかるように、先に云っていたことと食い違っている。新聞人、しかも主筆としてこれでいいのであろうか。

    • ▼質の高い新聞。

読者の質の高さ、というが、これは先日小欄でも揶揄した、「知識層」のための新聞こそ素晴らしい、という考え方であろうか。新聞の質の高さは正確な報道と偏向のない視点提供であると管理人は考える。その点に於いて朝日が不適格であることは小欄を読まずとも、「朝日新聞」とヤフーで検索しただけで分かってしまう*1という皮肉な状況が現状である。これに関連して続けるならば、すでにばれてしまった「従軍」慰安婦等の一連の誤報・捏造・虚報などを素直に認めるべきではないであろうか。『もより研ぎ澄まされている』『批評眼』にはもはや通用しない嘘である。

    • ▼世界と日本を同時代的に共感を持って関連づけることのできる新聞。

喩えとしてアジアを挙げているが、アジアでこの点を語るとすれば、「支那が」「北朝鮮が」はもうやめにしないか。今回の安倍首相訪印の際も癇癪を起こしたかのように「訪印」そのものを非難した。曰く「支那さまが機嫌を損ねる」である。この件は別途、出来るならば明日にでも取り上げるが、これはとても『他者の多様な視点に敏感』であったとは云い難い。

    • ▼国民とともに歩む新聞。

タイトルだけをみると第一の項目と被るように見えるが、内容は少々違う。ネットや所謂「保守論壇」を中心に指摘・批判される朝日の「支那偏向」を打ち消そうという意図が見えてくるような内容だ。実は気にしているのであろうか。
しかしながら、『一部の層やどこかの利害の代表ではない』としながら、『少数派無視には赤信号を点(とも)す必要を感じている』というのも、行き過ぎればまた、前後が矛盾しかねない。気をつけて欲しい、と思うが、生まれてこの方朝日一筋である管理人からすると、大変気がかりである。

総括・朝日は変わるか

結論からすれば、今までの路線をさらに先鋭化してきそうな気がする。自民党参院選で敗戦したからだろうか、非常に品の無い、指摘や批判の度を超した社説が日々並んでいると管理人は感じる。6月や7月の前半とは、当時が選挙前のネガティブキャンペーンの真っ最中であったにも拘らずである、その頃とは比べ物にならない。安倍首相の、パル判事の子孫との会談にすら文句を垂れ、ブッシュ大統領の演説に、記事は三面記事レベルであったのに、わざわざ社説を使って批判する。ブッシュ大統領よりも酷い「日本観」を呈する支那南北朝*2には一言も小言が無いのにである。

これが書かれてからほぼ一ヶ月。これが管理人の実感であり、総括である。勝谷氏の云う「朝日の変節」はまだ遠いようだ。



よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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*1:朝日新聞のサイトよりも「捏造」を指摘するサイトのほうが先頭にきてしまうのである

*2:この件も近く取り上げたい