朝日新聞記者は民主党に期日前投票したの?

端的に云おう。今朝の朝日新聞のコラム、天声人語がひどい。
コラムニストである某記者(無記名記事)は投票日に仕事があるらしく期日前投票に行ってきたようだが、このコラムを読む限り「民主党に投票してきました」と書きたいがためにわざわざこの話を持ち出したようにしか感じられない。曰く“久しぶりに、いや初めて「歴史」に関与している感慨を覚える。コラム書きではなく、一人の有権者として”であるらしい。民主党政権交代に関与したと解釈してしかるべきだろう。毎度毎度の話ではあるが、公正中立が前提であるはずの新聞記者がこれでいいものなのか。民主支持を自白するのはいいが、これではわざわざ自ら朝日新聞の信頼を貶めているに等しい。もっとも、このような自白がなくとも朝日新聞自民党が嫌いなこと(そして他紙の基本的な好みもまた同じく)は承知しているが。だが、これでは新聞記事ではなくまるで市井のブログである。


そう云えば、選挙期間に入ってからの立候補者や政党のブログ、公式サイトの更新が途絶えている。というか、これらは公職選挙法により禁じられているのである。選挙活動のネット解禁は、特に若手議員らによって提起されつつはあるが未だ実現していない。(さらに言えば、選挙活動のネット解禁は民主党マニフェストの一つでもある)平素は自民・民主両党ともにネットを広報手段として利用し、果てはニコニコ動画やユーチューブにまで番組を持っているほどなのだから、早いところ解禁してしまえばいいと管理人は考えている。公示前の麻生・鳩山党首討論にしても、ノーカット生放送をしたのは民法でもなくNHKですらなくニコニコ動画である。
聞いた話によれば、どうも一般人のブログに関しても、特に特定政党や候補者の応援のような記事は公選法にひっかかる恐れがあるらしい。先日あれだけ民主党をこき下ろした身としては薄ら寒い話である。
だが、市井の、有権者の声を潰すような公選法の運用の仕方が為されるなら、管理人はそれに断固として反対する。そもそも、朝日新聞の「ブログ」がよくて市井のブログがいけないという馬鹿があってたまるかという話である。


昨夜のNHKの「衆院選特集」討論番組を見た。22時前から見始めたので全て見たわけではないが、この中で民主党論者が気になることを言っていた。外交・安全保障に関する話において民主党が政権を獲った場合、防衛大綱への手直しもありえると云っていた。だが、どういった内容に手直しするかは選挙後、連立相手との協議で決定するというのである。これはとんでもない話である。マニフェスト選挙だ、マニフェストが浸透しただのと云われてはいるが、民主党マニフェストなどというものをまったく意に介していないらしい。それともマニフェストの意味を知らないのか。防衛大綱の変更もまた政策である。いや、この大枠の方針決定こそ安全保障政策の根本であるはずだ。そうであるのに、この政策は選挙後に「勝手に」決めるというのである。民主党の安全保障政策に「有権者の声」は反映されないようである。こんなことが民主主義にあっていいはずがない。民主主義を支持する報道機関やらジャーナリストやらはこの姿勢を大いに問題にすべきだし、自民党なども批判しなくてはならない。まず、とにもかくにも「政権交代」なのであろうが、民主党嫌いの管理人としてはこのような杜撰なのか有権者を見下しあまりにも狡猾なのか、いづれかであるのは確かな民主党に4年間も政権を任せるということが末恐ろしくて仕方ない。


民主党の政策に関してもう一つ。民主党は国家公務員の人件費2割削減を掲げている。削減分を民主党の政策実現の財源の一つにしたいらしい。しかしながら実際に2割削減というのは大変難しい。管理人は、以前から書いているように、単純な「天下り批判」には反対である。天下りをなくせば、その分官僚が退職まで官庁にい続けることとなる。そうなれば人件費は逆に上がるはずだ。昨日の朝のNHK「衆院選特集」に於いてみんなの党の渡辺党首は国家公務員の身分保障に問題があると云っていた。民間企業のように成果主義を導入し無能な役人を辞めさせていけばいい、みたいな論を展開していた。だが、これは行政に関する根本的な誤認があるのではと感じる。行政は市場の失敗を補填する役割も負っている。中には「赤字」で当然の部署・事業も存在する。民間の穴埋めなのだから当然である。それらまで考慮して、何を定規に役人の可・不可を論じるつもりなのだろうか。管理人は大学において「政策評価」という講義をとっていたが、現在の日本の政治・行政において政策評価・行政評価はうまく機能しているとは云いがたいのが現状であると教わった。さらに云うならば、政策評価が行政の経営効率の向上やら政策の「採点」やらに直接つながるという「期待」は誤解でしかないとも某教授は云っていた。みんなの党マニフェストにおいて、“給与法の抜本改正により「年功序列賃金」を見直し。給与カットを可能に。  公務員に原則、労働基本権を与え、代わりに身分保障をはずし民間並みのリストラを実施”と書いてはいるが、重ね重ねではあるが「年功序列」に代わる明確な定規は示されていない。民間企業は利潤の追求という明確な定規がありどこまで成果をあげているかに関して比較をすればいいが、公務員はそうはいかないのである。明確にインパクト調査やらなにやらまで行ってはっきりとした定規をみんなの党や、同じような公務員制度改革を主張する民主党(岡田克也の発言はあったが党内で合意されているかは不明)は出してこられるのか。ちなみに、これら政策評価・行政評価をきちんと実施することは莫大な金がかかるようだ。当講義の教授は実際に官庁に出向き政策評価をやってみてそれを実感したという。これでは、最悪の場合、余計に金をかけ(管理人は政策評価・行政評価をコストに見合わないと否定しているわけではない)、さらに公務員制度に混乱をもたらすという二重三重の失敗をもたらす可能性すらある。
同じく、公務員の人件費削減案として地方局の業務を地方自治体に任せるという話もある。これでは、地方自治体に押し付けるだけであるし、さらに場所によっては地方自治体のほうが人件費が高い場合もある。これでは意味がない。さらに管理人の穿った見方で見させてもらえば、民主党の支持母体である自治労組織力向上につながるとも思われ、これも目的の一つなのではないかとすら思える。また、同じ文脈において“公務員の労働基本権を回復し、民間と同様、労使交渉によって給与を決定する仕組みを作る”という民主党マニフェストも支持母体獲得という思惑が透けて見える。公務員が労使交渉、さらにはストライキなどでもしようものなら、一企業がそれを行う以上の経済的損失を与えかねない。かといって労働争議権を伴わなければ「労使交渉」は形骸化しこれまでとは比べ物にならない一方的な人件費削減などが行われ結果として公務員の労働基本権は回復どころか破壊されるであろう。すなわち労働争議権も同様に付与されざるを得ず、これは国家的損失につながるであろうと思われる。
結局のところ、以前も書いたことはあるが、国会議員・政党のマニフェストにおいて国家公務員は票をまとめるための「敵」でしかないのだ。そこには、互いの力を結集して国富を増進させようとする、政治家としての基本姿勢は微塵もない。

さらに公務員制度改革に関して言えば、民主党社保庁存続方針、またヤミ専従問題もある。どちらも民主党みんなの党が言うような公務員制度改革とは真っ向から「利害」が反する問題だ。これらからしても民主党にまともな公務員制度改革が出来るとは考えられない。



さて、公平を期すために、管理人はここで白状しなくてはならないことがある。これまでも書いたことはあるが管理人の親は国家公務員である。また自身も国家公務員として奉職しようと考えている。そうであるからここまで、書いたというのもある。ただ、国家公務員の息子として云わせて貰うが、報道機関や国会議員がいうような贅沢を管理人はしたことがない。今だって奨学金を受給している身である。
先日、毎日新聞生活保護母子加算がなくなり、月一度の“ささやかな贅沢である回転寿司”に行けなくなったと「悲鳴」をあげる母親の記事が掲載されていた。母親曰く、母子加算がなくなったために今年定時制高校を卒業した一人息子にスーツも買ってやれなかったそうだ。管理人の家庭にとって回転寿司は誕生日に味わえる贅沢であった。いや、今でもそうである。それを、理由はあれども生活保護を受けている家庭が「月一度のささやかな贅沢」とは怒りにものが言えない。もちろん、全ての生活保護受給家庭が贅沢をしているとは思わないし、生活保護のほうが最低賃金より安いから生活保護の受給額を下げろとも言わない。苦労している家庭も多数あるだろう。だが、少なくとも二種採用の国家公務員の家庭は決して贅沢などしていない。管理人は経験からではあるがそう言いたい。そして、「弱者」は必ずしも弱者ではないことも重ねて言いたい。それこそ現場を、実情を良く見て政策形成を行うべきだ。