シャブPと押尾学とよしもとばなな

覚醒剤取締法違反だかで最近逮捕されたシャブPこと酒井法子押尾学であるが、両人とも当初の供述とは一転して自身の覚せい剤使用遍歴を自白しつつあるらしい。酒井の場合は夫の高相容疑者の自白やら毛髪鑑定やらから逃れられないと諦めたのか。毛髪鑑定やらでは確たる証拠にならないようだが、この自白でどうにか立件できるまでにはなるのであろうか。逃げ得が元清純派アイドルによって完遂されるのは、警察・検察としても気分のいいものではないであろう。ぜひとも有罪判決を検察には勝ち取ってもらいたい。
押尾学はというと警察の取り調べに根を上げたのか、強い胃痛を訴え警察病院に入院したらしい。シャブPは拘置期限がさらに延長されたというのに、この痴態は、あれほどに強気な押尾学としてはなんだかなぁという感じである。ニコニコ動画なんかでも公開されている自身の名言録を今一度読み直して気合を入れなおしてほしい。

どちらの事件も、真に注目すべきは彼らの「パトロン」であろう。酒井法子は建設会社元社長ら逃走に手を貸した面々。出頭前には弁護士と連絡を取ったり、逃走中にも元弁護士とともに行動したりといった話が報じられている。気になるのはこれらの年老いた金持ちどもがいったいどのような関係・目的でいまや容疑者であるシャブPの逃走に手を貸したのかである。マスコミの取材には、シャブPがシャブPであったことを知らなかったようだが、高相が逮捕された後の報道を見ればシャブPがいかなる状況におかれているのかわかっていたはずだ。出頭のタイミングが尿検査の結果と密接な関係にあtるとしか思えないなど、状況証拠からすれば真っ黒にしか見えない。法というものは、ほとほともどかしいものである。彼らは酒井法子を守ろうとし、自身らは「法」に守られるのであろう。
押尾学に関しても、不倫相手の死体が発見された六本木ヒルズのマンションの一室の名義人であるピーチ・ジョンの女社長やら、ゴシップ誌で言われるようなさまざまな人間関係と、話題には事欠かない。話によればこの女社長は国税庁からも「注目」されているらしく、大変面白くなりそうである。それにしてもこの六本木ヒルズというのは成金どもの魔窟にしか見えない。一時はセレブの象徴とまで持て囃されたこのビルも、やっていることが新宿歌舞伎町の「クスリ箱」と呼ばれるクラブやら発展途上国のスラム街と同じであったのか。そもそも成金どもをセレブと言い換え持て囃したのがそもそもの間違いであったとしか云うほかにない。靴を舐めるがごとく追従したマスコミは猛省すべきだ。



最近ネットで炎上しているのがよしもとばななである。
彼女のエッセイ集の中で、自身らのワインの持込を咎めた飲食店店長をバカにし見下し、自身の人脈を誇示する文章を書いたのだから炎上するのも当たり前だ。飲食店でバイトをしている身としては、この辺の持込の判断は大変難しいのだが、店側にはじめに一言あればこれほどの問題にもならなかったはずだ。ただ、酒を提供する店でワインの持込というのはなかなか認めがたいものでもあると思う。なんにせよ、よしもとばななの独り善がりにしか聞こえない。
これをエッセイとし日本全国に出版したよしもとばなな及びその編集者の感性が管理人には理解できない。この話が読者の共感を呼び、この飲食店は潰れてしかるべきだ、と皆が思うとでも思ったのか。結果は斯くの如く、よしもとばななの醜くつけあがった文章は批判を呼んだのみである。こうも読者との乖離を見せ付けられると、よしもとばななのエッセイストとしての賞味期限も切れかけなのではと感じざるを得ない。


話は変わるが、韓国毎日新聞には慶一大(韓国にある大学)総長イ・ナムギョが執筆するコラム「イ・ナムギョの日本語源流散歩」というものがある。内容はというと、どれもこれも、日本語の源流は須らく古代朝鮮半島語(詳しくは知らないのだが、どうも古代朝鮮語と現代の朝鮮語は違うものであるらしい)であるというものである。おおよそ荒唐無稽にしか聞こえない話で、発音が似ており、示す意味も少し関連があるというレベルで何でもかんでも日本語の元を古代朝鮮語としたがるのがこのコラムの特徴である。最たるものは、第28回で提唱した「君が代」は金(きむ)家の世の中という意味、というものであろう。日本でいう「君」とは皇室・天皇陛下を指すのであるが、古代において、朝鮮半島の金氏が日本に渡り王朝を開き、「キム」が王族の姓となりそれがなまって「キミ」となったという説である。この記事を読む限り、こじ付けとしか思えない(そもそも「金氏が渡来し王朝を云々」の時点で眉唾物である)のだが、管理人が注目するのは、こういった話を今では韓国人から言い始めることである。
遡っておおよそ100年ほど前。こういった話は日朝同祖論などと云われ日韓併合やその後の朝鮮人同化政策(程度はともかくである)への理屈として使われたものだ。これを現代の韓国・北朝鮮人は文化抹殺の忌むべき歴史としている。そうであるのに、片や日朝同祖論に近い説を韓国の大学教授自らぶち上げているのである。なにもこの教授がいわゆる「親日派」であるのではない。以前、今上天皇が皇室には百済王族の血が流れていると記者会見で仰ったところ韓国メディアはこの発言を大きく取り上げ、支持したものだ。そうであるならば、日韓併合だって血筋的な理屈は通る。日本と朝鮮という二つの国になっていたものが一つに「戻った」だけだ。しかしながらこれを韓国・北朝鮮人は拒絶する。
この矛盾はなんなのか。
簡単に云えば、貧相な自尊心からくるものとしか思えない。戦後独立し、「戦前への謝罪」を求めるうちに「道徳優位」を得、経済的にも発展した韓国は、元来下の立場と考えていた日本をもう一度見下すために、何もかにも日本の源流は朝鮮半島にありといいたいのである。古代朝鮮と歴史的な断絶がある現代韓国・朝鮮人が何を云っているのかとも思うのだが、このような不都合な事実は、彼らの意識からは排除される。そして、なんであろうと、日本にはすべてわれわれが教えてやったという自尊心のみが際限なく増徴するのである。
もちろん管理人も古代の技術が大陸伝来のものであることは疑いない。管理人の好きな三国志の時代、日本は近代で云う「暗黒大陸」に等しい文明レベルであったことも否定はしない。ただ、管理人からすればそれはやはり2000年前のことだ。
だが、現代韓国人のこういったコラムを読むにつけ、韓国に旅行しようものなら、現地であった人々に「2000年前の借り」のツケを返せと云われそうな気がしてならない。飲み屋で一杯や二杯たかられるのではないかと思えてしまうほど、韓国人からすれば「今」の話なのでは、と勘繰ってしまう。
こんな不安を抱きながらも、九月あたり韓国、もしくは他に旅費の安いアジアの近隣国・または都市に初の海外旅行に行こうかと思う。