「左翼」に海自を非難できるか

自衛隊所属のイージス駆逐艦「あたご」が漁船に衝突し沈没させた事件から20日ばかりたった。すでに行方不明者の捜索は打ち切られ、残るは真相究明とそれに伴い必要性が浮き彫りとなるであろう諸改革である。自衛隊防衛省の組織改革など、現時点でも必要と思われる改革が見て取れる。
しかしながら本件を朝日新聞で眺めているとなんともお粗末な「批判」が毎日の様に並べられている。その大半は投稿欄「声」である。
曰く、「自衛隊の驕り」「自衛官には人間性が足りない」「暖かな心配りにかけていた」などとまるで見てきたかのように「精神論」を追求しているが、これら投稿者、そして「声」欄担当者がどれほど自衛隊の現場を知っているのであろうか。
しかしながら、さらに深く考えると、果たして日本国民に、自衛官に対してこのような「矜持」に基づく責任追及・批判をする資格があるだろうか。
管理人にはそうは考えられない。我々日本国民は今日に至るまで自衛隊国防軍としての誇りを与えてこなかった。演習をするだけで反対運動が起こり、海外への「派兵」の際は罵声と反自衛隊のプラカードで見送られる。そして、こういったことを行う人々に限って、自衛隊の不祥事が起こるたびに、まるで鬼の首をとったかのように「嘆き」、「防衛庁から出直せ」と嘯くのである。まさにその姿は「嬉々」という形容こそが相応しく感じられるほどだ。
今日、自衛隊憲法違憲の存在である。政府自民党は所謂「解釈改憲」で今日まで「乗り切って」きたが、憲法9条の条文を素直に読めば、我が国は国軍を有してはならないのである。解釈改憲の果ての、歪な装備・組織・機構・関係法であれど、自衛隊は国軍としか見做せない存在なのだ。
彼らに「矜持」を求めるならば、まずは我々がその「矜持」を与えるべきだ。その第一歩が、彼らを「合法集団」とするための憲法改正であり、明確に「国軍」と規定することである。
毎日新聞の言葉を借りるならば、まさに「護憲」「平和」団体こそ『恥を知るがいい』。「矜持」の欠如が問題ならば、彼らにもその責任はある。