朝日の社説=河合塾小論模試法学系模範解答②

明けから週末へと変わってしまったが、前回の続きを書かせていただこう。

四つ目。

近年、ネット右翼が注目されるようになった。ネット上で中国や韓国を侮蔑したり、それを擁護するメディアを左翼としてこきおろす書き込みを行う人たちである。(中略)彼ら自身が本質的に国家主義を目指しているわけではない。メディアの「左」的な発言を優等生的で嘘くさいものとして嫌悪しているにすぎないのである。(中略)徹底的に政治的な主体「デーモス」となることを拒否するものであることにある。だから権力に声をあげて戦おうとする市民を偽善者と呼び、それを擁護するメディアは売国奴にたってしまうのである。
このような発想は皮肉なことに現在の「美しい国」路線に都合が良いものである。将来に不安を持ち、「負け組」に転落する危機感から「強い国家」を望みそれにすがろうとする一部の国民感情に合致してしまう可能性もある。(中略)権力に依存するのではなく、権力を監視する政治主体となることが<愛国>のあり方であるはずである。

ついに「ネット右翼」もここまで来たか、といったところか。といってもすでに前年の単語だと思うのだが、それゆえに大学入試にも(これは模試だが)使用してよいのだろうか。
しかしながら、この模範解答の「ネット右翼」は朝日新聞が作り出した妄想上の産物(今「流行り」の「アベする」と同じ)で、雨宮華凛なぞに代弁させたものに過ぎない。確かに、朝日新聞の社説やコラムばかりを見ていればこのようなことも書くであろう。しかしながら、この模範解答の作者は、じかにネットに触れ「ネット右翼」なるものの書き込みやブログなどを見たことがないに違いない。ここで語られている「ネット右翼」のそれは、ほんの一面に過ぎず、中には本気で国家百年の大計を熱く語っている御仁もいる。そもそも、「ネット右翼」なる単語そのものが、それらに反発する(サヨクと呼ばれる)人々にはられたレッテルに過ぎず、定義も曖昧で、どちらかといえば誹謗中傷のための単語である。このようなものを小論文で使ってよいと管理人はとてもではないが考えられない。定義がなされていない故に、詳論内で定義付けしているわけであるが、その定義自身が誤ったものとなっている。模範とは云い難い。ちなみに、管理人も某掲示板で「ネット右翼」と呼ばれていたわけであるが、その掲示板では朝鮮や支那への批判から日本の外交姿勢・歴史観に至るまで書いてきた。「模範」解答の「ネット右翼」定義とは大きく外れるわけだが、それでも呼ばれていたのだ。どれだけ論拠の薄いものかお分かりいただけるであろう。
さて、この「模範」解答の締めは『権力に依存するのではなく、権力を監視する政治主体となることが<愛国>のあり方であるはずである』であるのだが、これは果たして民主主義国家における「政治主体」のなすものであろうか。管理人はそうは考えられない。これは独裁国家におけるそれに近い。民主主義国家に於いて、政治主体とは主権者たる国民であるのだが、一人一人が政治的な権力を有しており、それゆえに「政治主体」なわけである。しかしながら、この小論文に於いてはまるで外部からの視点だ。主体ではなく受動としか云い様がない。その前で「ネット右翼」を政治主体ではないと批判しながら、その実民主主義国家における政治主体の何たるかを理解できていないのだから、とんでもなく間違った小論文だ。
これまで四つの模範解答を取り上げてきたが、これが最も誤りに満ちており、とても「模範」にはなり得ないと考える。



では今日もいきましょうか