朝日の社説=河合塾小論模試法学系模範解答

日、河合塾の小論模試、通称「全統模試」を受けてきた。管理人の志望大学・学部から、法学政治系の出題形式の問題を選んだ。
出典は姜尚中の「愛国の作法」。これだけで吹きかけたのであるが、模試であるし我慢した。そのままなんとか模試を終えたわけだが、当然、模範解答が配られる。如何なるものが模範解答になるのかと気になりすぐに開いてみると、なんとも朝日新聞的な単語が並んでいた。試験会場では軽く一瞥する程度で済まし、ある種の期待感を伴いながら帰宅。胸の高鳴りを抑えつつ、4つある模範解答をはじめから一つずつ見ていった。その結果が、一週間ぶりの更新のネタである。4つ全てを全文掲載としたいところだが、そうなると3000字程度となるため特に「香ばしい」ところを抜粋という形にさせていただくのをご理解いただきたい。なお、各模範解答につけた小題は管理人によるものであり模範解答にあったものではない。

まずは一つ目。

(前略)
だが、教育基本法の改正によって、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という表現で教育に愛国心を盛り込んだことは見過ごすことのできない問題である。(中略)国を愛することが自然な感情として受け入れられ、それを否定することが困難になっている社会状況の中で、国家がするべきことは、むしろ、愛国心に異を唱える人々の自由を守ることである。(中略)為政者個人がどのような信条を持っていてもそれは自由だとはいえ、思想信条の自由という近代国家の原則を踏み越えて、自らの信条を貫くことは許されない。

さて、近代民主主義国家に於いて、国民が主権者である以上、国民に国防の義務が課せられるのは当然のことである。そしてこの義務を遂行する上で愛国心は欠かすことが出来ず、故に公教育を中心に国家は国民に愛国心を教える。これが近代民主主義国家の当然の姿であることは言を待たないであろう。国家と国民が同位体的である故に通る話であり、愛国心は自分自身を大事にすることと同意となる。愛国心に異を唱えるということは、即ち自傷的な行為に繋がる。個人が自分を好きで傷つけるだけなら社会への影響は無いに等しく問題とはならないが、それが国家規模となると問題は別である。民主主義国家に於いて国民は選挙と云った穏当な参政手段での政治の変革を行う手段を有した。愛するも愛さないも、政府はこの一つしかないのである。近代以前のように暴力革命でまっさらな新政府を立てるというような選択肢は、通常あってはならない。この点から愛国心の存在、及びその「押し付け」は否定されるものではない。愛国心を有さないということは、即ち非合法的な新政府樹立を企図しているとすら云えよう。現政権を倒したければ、愛国心を伴い、選挙に思いを託せばよいのだ。愛国心なくして祖国を良い方向へ導けようか。



二つ目。

(前略)
私は、日頃から日本国憲法、特に第9条に対して愛着を覚えている。9条は米国から日本の支配者に押し付けられたものだが、国民はこれを歓迎し、アジアへの侵略戦争の反省の上に立ち国民が不戦の意思にもとづいて新しい国家を作る契機と見なしたのである。(中略)軍事力に頼らない平和の追求という9条の理念は、むしろ重要性を増している。9条は、多くの人を殺す本格的な海外派兵に歯止めをかけてきた。(中略)
しかし、いま政府は憲法改正を公言している。9条が否認された憲法を、私は愛することが出来るだろうか。(中略)私の「愛国心」は急激に萎んでいく。

朝日新聞の投書欄に送れば一発で採用されそうな模範解答である。「愛国心」に関する小論文であるのに、7割近くを「憲法第9条への愛」の告白が続く。小論文としてこれは有りなのかとすら思うが、プロが模範解答として出す以上、有りなのであろう。それにしてもこの香ばしさは次に紹介するものと双璧をなす。9条の理念がウンタラカンタラとあるが700字では語りきれなかったのか、如何にして9条を「活かす」のかまったく触れられないままに、9条があれば他には何もいらない、とばかりの書きっぷりであり。
これがもし、「憲法9条」ではなく、基本的人権や言論・思想等の自由であれば管理人は大いに同意できたのだが、何か憲法9条でなければいけない理由でもあったのであろうか。出典の姜尚中の信条と結び付けてしまうのは管理人の穿ちすぎであろうか。



三つ目

全ての「愛国心」は作り物である。
(中略)
この「擬制」をあたかも郷土と一体のものだと言う首相は無知か嘘つきかの何れかだろう。(中略)大切なのは生きる場を共にする人々であり、言語や文化や国籍の差異は関係ない。そういう意味での絆のためになら、私も身を捨てる覚悟をするかもしれない。だが、それは絶対に愛国心ではない。パレスチナ人のインティファーダの敵は外敵だが、イタリア共和派の敵がムッソリーニの軍だったように、自衛隊や日本の警察が、住民の敵となっても何の不思議もないのである。

大変愛国心がお嫌いな方が書いた模範解答である。何が何でも愛国心など認めたくないという心情が文面から溢れている。
管理人は、小論は当たり障りのないおとなしめのものを書け、と指導された身であるが、自国の首相、しかも民主的な制度の下指名された首相を「無知」か「嘘つき」呼ばわりしていいものとは知らなかった。新しい発見であり、学習である。
この方はどうも地域のためには身を賭す考えであるらしいが、朝鮮総連支部があり、尚且つ武器庫として活用されていない限り、何をすることも無く鎮圧され殺されるのがオチであろう。それに自衛隊の協力などはもってのほかでもあるようであるし、全く現実を見られていないようだ。更に云えば、現住の外国人の方々のうち、何人が我が国の、地域の存亡の為に戦ってくれるであろうか。と云うか、普通の非戦闘員であれば祖国の危機であろうと難民になるのが通常である。はっきり云って、早期に出国し祖国に帰還するのがオチであろう。そして賢い選択である。
最後には、自衛隊や警察が国民に銃を向ける未来を「予言」している。その際にムッソリーニが例示されているが、それより、より的確なのが支那人民解放軍であろう。即ち天安門事件である。かの事件のほうがよほど明快で適宜あると思うのだが、これもまたなにか、支那への配慮でもあったのだろうか。確かに、自衛隊の反乱はないとは言い切れない。といってもこれは、絶対にないと言い切れる証拠がないだけで、普通考えればあるはずはない。また、むやみに国民に銃を向け発砲するというのも考えがたい。反乱の企図が日本国民の根絶ならば話は別であるが。さて、自衛隊の反乱部隊が皇居に進軍し、陛下に組閣の大命の降下を要求する日はくるのであろうか。

最後の一つはまた後日書かせていただく。






よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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