収奪と残滓でしか語れない時代〜運動会も日帝残滓

1:蚯蚓φ ★ :2007/09/09(日) 23:06:21 ID:???

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運動会-近代の身体(日本表題:運動会と日本近代 )/吉見俊哉著/イ・テムン翻訳/1万5000ウォン

運動会は万国旗飜る広やかな運動場へ来た家族が意気揚揚として登校して一日中走って食べて応援した、学校を媒介にした一種の村祭りだ。学生たちは一月以上マスゲーム、騎馬戦、棍棒体操、競走演習をして運動会当日の準備をして、雨でも降ったらどうしようと戦々恐々とした記憶が新しい。今も9、10月なら全国大部分の小・中等学校、幼稚園では運動会が開かれる。

しかし、運動会が戦争遊びを通して「日帝の元気な臣民を作るための装置」という主張が申し立てられてショックとともに虚脱感を抱かざるをえない。運動会が日帝残滓という主張は韓国人ではなく、日本学者たちによって書かれた。最近、ノンヒョン出版社が翻訳出版している「日本近代スペクトル」シリーズの一冊である「運動会-近代の身体」によれば運動会はすなわち「身体の規格化を通じて近代民族国家が要求する国民を作り出す祭りの場にしよう教育の道具」だった。

それが戦争遂行のための勇ましい戦士でも、大量生産のための丈夫な労働者でも、それとも近代イデオロギーを再生産する少数のエリート知識人でも‘元気な身体’が要求されたというのだ。日本の近代化を推進した明治政権が1874年に取り入れた運動会(当時は‘競闘遊戯会’と呼ばれた)と言う初めはもちろん近代イデオロギー武装された‘元気な精神’と近代規格に裁断された‘元気な身体’を力強い国家の礎石にすることに目的があった。

外国人教師の指導で始まった運動会種目も競走、走り高跳び三段跳び、なわとびなど個人の技量を競うものが主だった。しかし、清日戦争と露日戦争を経て運動会は旗を奪う、網引き、網抜け、器械体操と行進はもちろん甚だしくは銃剣術示範まで導入するなど変質し始めた。行事場所の飾りには天幕と日の丸・万国旗が必需品だったし、開幕式には天皇勅語奉読と国歌である君が代吹奏合唱を荘厳な儀式で行うなど国家行事としての色彩が濃くなった。閉会式の時は万歳三唱を怠らなかった。

運動会が主に開かれた11月3日は明治王の誕生日なので、運動会と天皇制は不可分の関係ということも立証された。1941年12月、太平洋戦争勃発後、帝国主義が極まった日帝末期には騎兵襲撃、飛行機遊びなどの種目の導入など運動会は‘皇国臣民養成’に忠実に動員された。当時、日本の支配に置かれていた韓半島各学校で施行された運動会も日本本土のような形態で進行されたことは勿論だ。

著者中の一人、乳児教育学者、紙透雅子は「自分の子供の順番になれば先を争って行ってカメラのフラッシュをたくなど、運動会は親のための行事に転落した」と批判しながら「子供たちに秩序を強要して集団意識を植えつける幼稚園の運動会は、これ以上必要ない」と運動会廃止論を述べた。運動会はもはや戦争準備のための動員でも、見せるための行事ではない、本当に子供達が主人公になる遊びの場にならなければならない、という注文だ。

根源も知らないまま運動会のたびに青軍・白軍に分けられて我を張って勝とうとする我が国の小学校運動会も呼称を調整するなど日帝残滓を払い落としてはどうか。

チョ・チョンジン記者

ソース:世界日報(韓国語)[本]“運動会は日帝残滓”
http://www.segye.com/Service5/ShellView.asp?TreeID=1052&PCode=0007&DataID=200709061306000051

そもそも、義務教育が近代国家を構成する均質的な国民(国家が要求する最低限度の知識や行動が出来る国民)を育成するためのものである以上、運動会も「教育」の一環である限りそういった趣旨は拭うことはできない。これが義務教育の根幹であり、昨今の日本における教育論争はこの原点を無視・逸脱している気がする。
最初から話がずれてしまったが、この記事に拠れば分かるよう、日本政府は朝鮮半島にも等しく近代教育を施したのである。それが現代でも当然残っているわけだが、それを韓国では民族的な感情をこめて「日帝残滓」という。奪われたものは「収奪」。近代国家として必要ゆえ当然の如く残ったものは「残滓」。これが韓国における近代史の見方の基本である。そこには負の感情、所謂「恨」が多分に介在し、近代的な考え方を彼方へ追いやっている。
運動会のプログラムが、まるで「日本軍国主義」「皇室」の賜物の様に書かれているが、特に国公立の学校の行事である以上、今でも国歌・国旗の形容などは行われる。これに異を唱える教員らもいるがここでは取り合わない。米国では国旗がいたるところに掲揚されているし、別段日本独自のことではない。

この記事を素直に読めば、日本政府は朝鮮半島に近代をもたらしたわけであるが、そのような朝鮮人にとって「不都合」な歴史観は排除され、「強要」と「残滓」でマイナスにしか語られない。これが有名な歴史を「クリエイト」している現場である。現状を見ていると、千年後には「近代」は朝鮮半島を通じて日本にももたらされたと主張し始めても管理人は驚かない。
『根源も知らないまま運動会のたびに青軍・白軍に分けられて我を張って勝とうとする我が国の小学校運動会も呼称を調整するなど日帝残滓を払い落としてはどうか』 と記事は締めくくるが、これは朝鮮半島における近代教育の定着の過程を歪曲するもので、即ち、歴史の創作の第一歩なのである。





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鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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