聞こえてくるは軍靴の音〜「学ラン」は戦争の象徴との投書に宇治山田商応援団の着用を自粛

 第89回全国高校野球選手権大会で、16日に佐賀北(佐賀)と引き分け再試合を行う三重県代表、宇治山田商業の野球部応援団が、県大会決勝まで続けてきた学ランと「日の丸」の鉢巻き姿での応援を甲子園で“封印”していたことがわかった。「戦争を想起させる学ランは不適切」との投書がきっかけで、県高野連と同校が協議し、急遽(きゅうきょ)トレーナー姿での応援に変更した。同校では「大会中に終戦記念日もあるため配慮した」としているが、OBなどからは「過剰反応なのでは…」と反発の声も上がっている。

 関係者によると、同校は7月の三重県大会決勝まで、応援団の男子生徒ら11人が黒い詰め襟学ランに、「必勝」と書かれた日の丸鉢巻き姿で応援。このスタイルは昭和53年の第60回選手権大会で甲子園に初出場したときから続けてきたもので、同校の普段の制服も詰め襟という。

 ところが、今年の県大会決勝後、「学ランはもともと海軍の軍服。高校野球という舞台で戦争を思い起こさせるのは不適切だ」などと指摘した投書が県内の別の高校に届き、県教委が同校に連絡。

 同校と県高野連が協議し、県高野連が「やめておいた方がいいのでは」と助言し、同校も白地に校名の入ったトレーナー姿に改めるとともに、日の丸の鉢巻きも取りやめることを決めたという。

 同校の教諭は「私自身もOBで、学ランで甲子園に来た思い出があるので名残惜しいが、大会期間中に終戦記念日もあり、繊細な問題なので断念した」。鈴木光一校長(57)は「私自身が直接指示したわけではないが、熱中症の心配もあり取りやめた方がいいと以前から思っていた。高野連からは、あくまでアドバイスをいただいたと思っている」。

 一方、柴原高雄・三重県高野連理事長は「甲子園出場前に学校と協議の場を設けたのは事実。ただ応援の仕方を説明する中で、『暑いのでやめた方がいい』と話しただけ」。高校野球大会本部は「学校が個別に判断すべき事柄なのでコメントできないが、高野連から指示を出したことはない」としている。

 こうしたチグハグな対応について、同校の応援団やチアリーダーらは「学校側からは戦争をイメージするたからダメだと言われただけ。学ランで汗をかくことで、グラウンドの選手と一体になれたのに…」。スタンドに来ていたOBの男性会社員(37)も「学生服として定着しているのに、今さら戦争の話を持ち出すのはおかしい」と学校側の“過剰反応”に首をかしげる

 一方、学ラン姿の応援を続ける今夏の甲子園出場校の一つ、今治西(愛媛)の応援団顧問、青木孝之さん(39)は「わが校は代々引き継いでいる制服なので違和感はなく、今後も変更するつもりはない。宇治山田商は少し気にしすぎなのでは」と話していた。

 事なかれ主義
 コラムニストの勝谷誠彦さんの話 「事なかれ主義、ご都合主義の典型だ。そもそも高校野球には二面性がある。公然と語られていた特待生問題にしても高野連は初めて聞いたような顔をしたし、夏の甲子園は日の丸に批判的な朝日新聞社主催の大会なのに、球場には高々と日の丸が掲げられている。そうした大人たちの都合が、今回は伝統の応援スタイルにこだわってきた生徒たちを直撃した。あまりにかわいそうだ。しかも宇治山田商といえば、日本文化の象徴でもある伊勢神宮の間近にある学校だ。恥を知れと言いたい」

 (2007/08/16 10:20)

http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya081606.htm

管理人が使っている単語帳の例文に「どこの社会にも馬鹿げた理由で訴訟を起こす人はいるものだ」というものがあったが、訴訟の部分を投稿、苦情にしても差し支えない。
宇治山田商と云えば、昨日帝京高校に勝利した佐賀北高校と延長十五回引き分け再試合の死闘を演じた三重県代表の高校だ。しばしば目にする学校であるが、甲子園出場に大いに沸いた中、このような勘違い投稿にその喜びは水を差されたであろう。
スポーツに政治を持ち込まない、というのはなかなか難しい話で、管理人としても北京五輪のボイコットを政治的な理由*1でも主張している故にあまり大っぴらに批判は出来ないが、しかし、これはあまりにも見当違いだ。宇治山田商は開戦願望を以て応援団の衣装に学ランを選んだわけではなかろう。それなのにわけのわからぬ難癖をつけ、生徒たちのやる気を殺いだわけである。
記事中に書かれているように、高野連などの対応も問題だ。毅然とした態度をとっていればいいものを、このような対応をすれば、今後も味を占めた売国サヨクどもが挙って各都道府県に「苦情」を入れ始めるであろう。管理人の通う学校も伝統的に学ランであるが、制服をかえなければならないのだろうか。
この苦情を申し立てた人間は、日々学ラン姿の高校生を見て苦々しい思いを抱いていたのであろうか。だとすれば、そのような生き辛い人生を選ばせた思想というものは本当に罪深い。尤も、思想を持つことは生き方を制限することでもあるのだが。
馬鹿馬鹿しい限りであるが、実際に起こった問題で、宇治山田商の方々は、人によっては違うかもしれないが記事内のインタビューを見る限り嫌な思いをしているわけである。大げさかもしれないが、これは公共の福祉に反しているのではないか。だとすれば、このような思想は憲法でも保障されない。苦情を申し立てた人間はそのこともきちんと承知しておくべきであろう。
しかし、朝日新聞などに甲子園球場の日の丸は戦争を想起させる、などという投書が来て朝日が喜んで日の丸を下ろさせる、などということが現実に起こるかもしれない。あそこまでヒステリックに日の丸を貶す朝日新聞だ。決してありえない話ではない。




よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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*1:といっても行き着くのは支那人民共和国が五輪の理念からして相応しくない、というものだが