朝青龍バッシングに見る「国辱」?

日の朝日新聞の投書に、たまにくる頓珍漢なものがあったので掲載したい。

みんなで非難 日本の文化か?
大学教員 岩田礼(金沢市 54歳)
朝青龍に対するバッシングは度を超していると、私は思う。
すでに厳しい処分が下っているというのに、彼の自宅の周りはマスコミが取り囲み、家族を呼び寄せることすらできない。刑事被告人よりなお、劣悪な環境にあると言える。
朝青龍は今、脂が乗り切った横綱だ。当然高いであろうプライドが傷つけられずたずたにされている。医者にかからなければならないほど精神的に動揺してもおかしくないことを、相撲協会やマスコミは何故理解できないのだろうか。
アメリカの大リーグでホームラン記録を達成したバリー・ボンズ薬物疑惑の渦中にあり彼を追及する人も多い。しかし彼の記録達成を祝福する人もまた多く、ボンズは今もプレーしている。疑惑は疑惑、記録は記録と考えられることが、健全な社会だろう。
朝青龍は日本の文化を理解していない、という声がある。しかし、実力者、あるいは権威ある人が一度傷つくと、徹底的に追いつめる。あるいは逆に、「よし」
となると、どっとなびく。攻したことが最近の日本では「文化」であるようだ。
相撲は「国技」というが、「国辱」に発展する恐れすらあると思う。

投稿者の脳内のみで話が展開されているという典型的な悪文なわけであるが、内容も酷い。
まず、朝青龍へのバッシングが酷い、と云うが朝青龍に肯定的な話もちらほらとは聞かれる。相撲協会などは匿っている風にすら見える。故にマスコミから叩かれれている訳であるが、投稿者はマスコミも相撲協会も同列に見ている。管理人とどこか受け取り方が違うのだろうが、なんとも納得がいかない。相撲協会朝青龍がモンゴルから帰国したのちも、朝青龍を医者に診せているのである。
また、朝青龍バリー・ボンズを比べるのは、朝青龍に失礼ではないか。薬物といえばスポーツに「つき物」であるのは否定できないが、しかし、この疑惑は大変なものである。もしこの疑惑が真実であればバリー・ボンズの帆0無欄は薬物のおかげとも云われるわけで、その権威は地に堕ちるであろうし、嘘であればこの疑惑を吹っかけたほうがそれ相応の責任を負わなければならない。そのような重大な疑惑と同列に並べられては朝青龍もたまったものではないだろう。そして、朝青龍が問題を起こすからと云って彼の連勝記録を揶揄するような人間も殆どいない。何を勘違いしているのか、投稿者の基準では日本もまた健全な社会であるし、その健全さをかき乱しているのはマスコミに他ならなくなる。
だが、途中からマスコミの話が急展開して日本の「文化」の話になる。いつものことであるが、責めるのもなにをするのも全てマスコミであり、半ば以上、マスコミの一人芝居と云っていい状況だ。どこの一般市民が高砂部屋の前まで行って朝青龍を非難したか。管理人は聞いたことがない。それなのに、急に国民が皆朝青龍を目の仇にしているかのような書き方、というか投稿者は実際にそう思っているのであろう、これはおかしい。国民の大半は、またしても朝青龍か。そろそろやばいんじゃないの」程度の反応だと管理人は思う。マスコミが勝手に騒いでいるだけの状況を理解していないのか、まるで日本中が大騒ぎし挙って朝青龍非難を行っているかのような錯覚に投稿者は捕らえられているようだ。
確かに、日本人は付和雷同しやすい民族だとも云われる。また、先の参院選などもマスコミは挙って、それこそ朝青龍の比ではないほどに自民党・安部政権を叩いたわけだが、投稿者は大学教員でありながらスポーツにしか興味が無いのであろうか、一切の言及はない。安倍批判の旗振り役であった朝日新聞にこのような投稿をするのは皮肉であるのかもしれないが、しかし、最後の、文章構造的に非常に理解しがたい一文を見る限り、朝日新聞と志は同じ、とりあえず日本人を非難できればそれでよし、といった思考回路の持ち主であると見受けられる。
大上段からの物言いのようになるが、最後の一文を「添削」するとすれば、この書き方では相撲がまるで「国辱」になるかのように捉えられる。投稿文から吟味するに、「国辱」とはバッシングから見えてくる日本「文化」ではないのか。受験生だから云わせて貰うが。現国でこのような回答を書けば撥ねられてしまうだろう。出来ればこの教員が勤める大学を知りたい。公表されればきっと入学志願者数はがた落ちであろう。管理人ならば絶対に行きたくない。



では今日もいきましょうか