「民意」を騙り「民意」に裏切られる朝日新聞

日新聞の投書欄「声」や「朝日歌壇」に関してはこれまでも散々取り上げてきた。今更説明も要らぬだろう。朝日新聞が擁する「大政翼賛会」と書けばそれでたる。朝日社説への支持率はほぼ100パーセント。政権与党たる自民党への不信任率もほぼ100パーセントととても全国紙・報道機関の態をなしていない欄である。個人のブログなどでは、意見が偏る・一党の支持を貫く、というのは当たり前にあることだが、普通の新聞でそうであるということは不思議でならない、というか何かしら不可解な思惑と神の手が働いているようにしか思えない。毎日の様に眺めていると、度々同じ人物の名を目にし、そういった人々は決まって朝日新聞の社説の要約の様な意見で政府や自民党を非難している。
朝日は、そういった「民意」なき「民意」に縋りすぎてしまったようだ。
朝日新聞は先月31日の社説【首相の続投―国民はあぜんとしている*1で表題どおり、国民の「名」を借りて安倍総理の続投を非難した。しかしながら、翌8月1日の朝日の一面には【「首相は辞任を」47% 「続けてほしい」40%】という文字が躍った。同日の読売新聞の報道では、続投評価が44%評価せずが45%であった。両調査から見るに、続投の支持者は少なくとも4割にはのぼる、というところだろう。不支持率もほぼ6割なのであるが、それにしても、管理人を含めた国民の4割強が「非国民」であるらしい。今日、8月2日の朝日新聞の「声」欄にも、ヘビーユーザーである大原逸夫*2が国民の3割強が自民の支持を表明したことに対し『恐ろしいと感じた』自民党に票を投じた有権者を愚民扱いした。朝日も心境は同じであろう。社説を書く際は敢えてその3割強に目をつぶったのかもしれない。しかしながら、民意というものは掴みがたい。「国民」の名を騙らず、(報道機関であることをかなぐり捨てることにもなるが、*3)「朝日新聞主筆」の名を語り堂々と安倍総理の退陣を求めればよかったのである。
「民意」を騙った結果がこの失笑物の社説である。
これも朝日の「大政翼賛会」たる「声」欄の弊害ではないだろうか?普段から、「朝日様万歳、社説万歳」の「声」しか聞いていなかった結果だと管理人は邪推してしまう。



では今日もいきましょうか

*1:(前略)あれだけ明確な有権者の「ノー」の意思表示を、どう受け止めたのか。記者会見でただされた首相は、こう述べた。「国民の厳しい審判を厳格に、真摯(しん・し)に受け止め、反省すべきは反省しながら、そして謙虚に、改革、国づくりに向かって責任を果たしていく」 要するに、厳しい選挙結果は首相に対する不信任ではなく、国民のおしかりと受け止めるということなのだろうか。だとすると、首相はこの歴史的大敗の重さを見誤っていると言うよりない。(後略)

*2:小欄でもついこの間取り上げていたようだ

*3:といっても朝日は普段からそうであるのだから気にすることはない