ログ【反日勢力を斬る】(管理人・Ponkoさん)に於いて愛国心を云々したエントリ*1があり、管理人もいい機会だと思い今一度愛国心に関して考え直してみた。
管理人も小欄に於いて散々愛国心について書いてきたがその主張の大枠としては、愛国心とは「自国の行く末への責任感」であると定義してきた。故に、愛国心を測る物差しとして「投票率」なるものがあるとの一応の結論を見ている。
更に歴史的に愛国心を見るならば、それはフランス革命に端を発しておりフランス革命戦争最中の国民皆兵に於いてその必要性が絶対のものとされた。故に近代国家・国民国家に於いて愛国心は必要不可欠なのである。Ponkoさんは江戸時代に愛国心はなかった、との主張を繰り広げているがその通りであり、江戸時代が近代社会・近代国家ではなかった所以でもある。
さて、Ponkoさんは「愛国教育は必要」との主張を行っているが、管理人はこれまで、教育基本法等に「愛国心」といった言葉を盛り込むことは恥ずべきこと、と書いてきた。一見、対立した意見のように見えるが、根は同じである。管理人としては、「愛国教育」というものは当たり前の様に、自然に行われなければならないものであり、それをわざわざ法整備までして現場の教員にまで指導しなければならない現状を恥ずべきもの、近代国家の体とはかけ離れたものである、考えている。
近代国家の教育、とくに歴史教育に於いてまず学ばれるのが「国家史」「国民史」である。要は日本史だ。何故、世界史よりも先に日本史を学ぶ、しかも世界史は高校にまでならなければ教育課程に載らないかというと、子供の発達云々が一番の要因なのだが、もう一つ、無視できない要因として「国家史」「国民史」あっての「歴史」である、という考え方があるのだと管理人は考える。
「国家史」「国民史」によって我が国の国民であることを叩き込み、歴史を「主観的に」評価できるようにするのである。即ち、ある歴史的事件に於いてどのような行為が我が国に利せしめ、どのような行為が我が国に害をなしたか、それを判断しその後の生きる糧とするのが「歴史」であると管理人は考える。これは兵頭二十八氏の受け売りに近いのだが。
故に、「国家史」「国民史」を学べば必然的に「愛国心」は涵養されるはずである。だが、実際として今の「国家史」「国民史」は日本の「主観」ではなく、常に相手の「主観」で語られている。まるでそれが「客観的」記述である、と云わんばかりに。
特に酷いのが近現代史で、ここでの詳しい論評は避けるが読者諸兄は書かずとも分かってくれるであろうと思う。
これをどうにかするために、教育基本法に「愛国心」が書き込まれたのだが、これが恥ずべきことなのである。
ちなみに、以前小欄で取り上げた佐高信の「愛国観」*2を例にとり、我が国の歴史教育の現状を書き、如何に愛国心が涵養されない状態にあるかを証明してみようと思う。
といっても、そもそも佐高信*3が使用した「大日本帝国」=「祖父」論自体が誤りに等しいため、正しい証明にはならないことを先に断っておく。しかしながら、一つの目安となるであろうことも確かなので使用させていただいた。
小林よしのりは「大日本帝国」を「祖父」に喩え、現状の歴史教育のように「祖父」の悪口ばかりを吹き込まれては「祖父」を愛することが出来るはずがない、と説いた。それに対し佐高信は、その程度で「祖父」が愛せないのならばその愛は薄っぺらい偽りのものだ、と反論した。
先にも書いたよう、まず、この「大日本帝国」=「祖父」の比喩が誤りであるのだが、ここでその根拠をまず書いておこう。以前も書いたが、小林よしのり佐高信にとって「国家」とは祖父ほどに近い間柄であるらしいのだが、果たして現実として普通の人間がそのように考えるであろうか。管理人は否だと思う。「国家」とはそのような実態があり、かつ肉親の様な存在ではないはずだ。もっと漠然として遠くにあるような存在であろう。故に、この比喩は誤りだと思うのだ。

しかしながら、この比喩を使い説明させてもらうと、現状の歴史教育は「祖父」をけちょんけちょんに貶し一切の反論を与えないものである。さらに、現在「祖父」は「死んで」おり、全ての「孫」たちは祖父の実像を見たことがない状態にある。また、「孫」たちは「祖父」の「悪行」により普段から「隣家」の人間に悪口を云われカツアゲをされている状態にある。このような状態で、顔も見たことのない「祖父」を愛せるだろうか。家の中ですら、一部の「叔父」や「叔母」、場合によっては「父」や「母」が「祖父」を悪だと云うのである。愛するなど不可能だ。いくら「血」の繋がりがあるといわれても実感はない。なにせあったことも顔も見たこともないのだ。あるのは「断片的」な「写真」だけである。全体像を見たこともない。人柄も知らないのだ。
もし、それでも愛せると云うならば、それは「異常愛」としか云い様がない。盲目的過ぎる。危険極まりない。異常者であると云ってもいい。

故に、「愛国教育」は必要であり、我が国はこの方向に転換しなければならないのだ。
現在の「年金問題」一つとっても分かることだ。今の国民は自分に火の粉が掛からなければ政治に対して興味を持たない。自身に直接的な関係がなければ国家の行く末など考えない。しかし自分の金が絡めばその動きは「迅速」であった。我が国の、国民の意識の低さは「年金問題」で証明されてしまった。この件を見るにつけても、如何に愛国教育が必要であるかわかるものだ。


なお、管理人が以前小欄で書いたことと今日の内容とで矛盾する部分があればぜひご指摘願いたい。矛盾点が解決するようお答えする所存である。



では今日も行きましょうか

*1:日本には愛国心が無かった

*2:尤も、これは小林よしのりの「愛国心」及び現在の歴史教育に関する見方への反論であり根底は小林よしのりの「歴史教育観」である

*3:及びに小林よしのり