ラビアのロレンス*1という映画を知らない人は少ないであろう。管理人はこの名作をようやく今日見終えた。聞きしに勝る素晴らしい作品であった。あの様な映画を見せられればロレンスでなくても砂漠に、あの不毛な大地に魅せられるはずだ。管理人、暑かったり、特に寒かったりな土地には行きたくない、という現代っ子であるが、それでも一度あの砂漠をラクダに乗り旅してみたくなった。鳥取砂丘では、失礼だが話しにならない。それだけの映像美を兼ね備え、そして娯楽映画としても、戦争映画としても最高傑作といえる映画であった。まだ見ていない方はぜひ見て欲しい。管理人はDVDに残すことにした。借りたい人がいるならばぜひ貸したいほどである。
今作に於いて、ロレンスは最後、失意のうちにアラブを去るのであるが、その失意の姿には現在の米国の姿がダブって見えるようでもある。もちろん、米国はロレンスの様な理想を以て*2イラク空爆サダム・フセインの独裁からイラク国民を「解放」したわけではない。彼の攻撃には反米論者が云うような「石油利権」云々では片のつかない、米国の思惑が含まれている。しかしながら、米国が彼の地に民主主義国を作りその波及の拠点としようとしたのも、また一面の事実であろう。
ダマスカスをアラブ人の手によって占領したロレンスは、希望を胸に、アラブ人たちに独立を与えようとした。しかしながら現実には、発電所や電話局、水道といった近代社会には欠かせないインフラを扱うことの出来ないアラブ人たちの姿があった。ここにきてまで部族同士がいがみ合い、縄張りを主張する前近代的な彼らの姿があった。アラブ人は、物理的にも精神的にも近代国家を自前で持てるような状況ではなかったのだ。ロレンスはいがみ合いを収めることが出来ず、結果各部族は再び砂漠へと帰る。
管理人には、これが現在のイラクにダブって見えるのだ。
断っておくと、サダム・フセイン下のイラクは、中東に於いて工業的・産業的に成功した*3「近代」国家であり、地域の覇者であった。何故、そのようなことが可能だったかと云うと、サダム・フセインの独裁こそがそれを可能にした、と管理人は考える。独裁により部族といった境界線を無理やり消していたのが、バース党支配下イラクであった。しかしながら、皆様が知るようにイラクに米軍を中心とする有志連合軍が侵攻したのち、サダム・フセインという重石が消えたイラクには、再び、部族的ナショナリズムが現れたのである。民主主義という制度のもと、それは最悪の形で噴出した。要は部族や宗派がそそまま政治結社となったのである。
米軍は、21世紀にロレンスの二の轍を踏んでしまったのである。こういった意味で米国は歴史から学べなかった。失礼なことと知りつつ敢えて云わせて貰えば、アラブはまだ民主主義が根付く状態にないのである。未だ前近代なのだ。もちろん、この状態が全く新しい、民主主義を超えるより良い政治体制を作る可能性はゼロではない。しかし限りなくゼロに等しいであろう。
歴史を鑑みるに、国民国家を作るには部族ではなく民族のナショナリズムが必要であり、それを国民意識にまで持っていく必要がある。これは半世紀・世紀単位の時間が必要だ。強力な指導者も当然必要になる。
はっきり云って、現状では不可能であろう。占領統治というのは、とてつもない労力と資金を要する。米軍が撤退する可能性はいつだって否定できない。
しかしながら、米国はロレンスに学び、歴史に学び、彼の地に民主主義の萌芽を作ってから去るべきである。映画・【アラビアのロレンス】に於いては、ベドウィンの族長・アリが政治と民主主義に活路を見いだそうとした。時間は掛かろうが、最後には歴史が評価してくれる。数世紀後のアラブのどこかの国の歴史教科書には、21世紀初頭のイラク戦争によってアラブに近代化と民主主義の萌芽が生まれた、と書かれているかもしれない。
未来を決するのは現在の占領軍の施政である。




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鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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*1:

*2:当然ながら、ロレンスは一貫して祖国英国のために働いていた、という説もある

*3:政治的には独裁国家でありとても近代的ではなかったが