前朝日で見た投稿で是非とも土井たか子あたりに見せたいものがあったので紹介しようと思う。

大学生 吉田 一紀(京都市伏見区 22歳)

 5月3日、日本国憲法施行60周年に当たって内閣総理大臣談話が発表されました。

 その中で安倍首相が「憲法は、国の理想、かたちを物語るものだ」と発言していることがわかり、一国の首相たる人物が憲法というものをまったく理解していないのだと驚きました。

 首相は自らが思い描く社会像や家族像を、改憲によって実現させようと思っているのでしょうか。
 同じ日、民主党鳩山幹事長は「憲法は『公権力の行使を制限する根本規範』というのが近代立憲主義の定義。国家の伝統をうたったり国民に道徳や義務を課す規範ではない」と発言しました。

 至極まっとうで、私は鳩山氏と同じ立場です。

 憲法は「国民から国家への命令」であるはずです。
 それなのに、改憲を主張する政治家からは、国民の義務規定が少ないという声すら聞こえてきます。

 さらには、自民党は新憲法草案の前文に「愛国心」規定を盛り込んでいます。
 これでは「国家から国民への命令」になってしまいます。

 憲法の基本すら理解していない政治家が改憲を唱えることに、私は反対します。

管理人が定期的に巡回し、小欄の参考にもさせていただいているサイトの一つ【狂想 電波投稿を食べないでください】ではわざわざ現行「憲法」の条文を引用してまで、憲法は義務も定めるものだと説いているが小欄ではそこまで親切はしないつもりである。この大学生は何を専攻しているのか管理人の知るところではないが、よくもまぁ大学に受かったものである。現代社会なり政経なりは入試で選択しなかったのだろうか。
あと、国民からの命令云々、愛国心云々もここでは取り合わない。と云うか取り合う価値もない。
こんなことはどうでもいいのだが、本題は以下の部分だ。

憲法は、国の理想、かたちを物語るものだ」と発言していることがわかり、一国の首相たる人物が憲法というものをまったく理解していないのだと驚きました。

そう。憲法は決して国の理想を語るものではないのである。故に、9条護憲主義者の唱える「理想」なるものはそぐわないのだ。まして土井たか子などは、
「9条はアジア諸国民(というか支那と朝鮮)との約束」
といって憚らない。憲法で他国民と約束をするなど前代未聞。そしてこれからもそのような例は生まれないだろう。佐高信が云うには土井たか子憲法学者であるらしい。佐高信は「憲法の実践者」とまで褒めていたが。これが憲法学者であり、憲法の実践者が行う発言であるのかと思うと暗澹たる気持ちになってくる。国家間の約束ごとは条約で取り決められるのだが、それも知らぬものが法学者を名乗りあまつさえ国会議員であって、しかも一時期は要職を務めていた。恐ろしいことだが、土井たか子は総理大臣になることも叶わぬ夢ではなかったような人間である。
社民党は、この常識から問い直し、参院選に臨むべきではないのかと思う次第である。


では今日もいきましょうか