党首討論見たけどつまらなかった

日、自民党の安倍総裁と民主党の小沢代表との党首討論があったのはここで書くまでもない。
本当はあった当日に書くべきことであったのだろうが、その日は福島の母親殺しに関して書きたかったので今日に回した。
管理人も当日の3時過ぎごろに党首討論があったことを思い出し急いでNHKをつけたのだが、はっきり云ってつまらなかった。5分足らずで消してしまった。
丁度そのとき、安倍総理自衛隊幹部学校の入学式だったかでの、訓示に関して言葉通り小沢代表が揚げ足を取っていたところなのだが、小沢氏はいつからあそこまで反自衛隊になっていたのか苦笑してしまった。これも、「反自民」の一環なのであろうが自身の政治信条を一切合財包み隠してまでする価値のあることなのか管理人には疑問である。政治家であるならば、自身の政治信条を語るべきだ。その点で云えば、安倍総理靖国や支韓への姿勢もいただけないのだが。
さて、その揚げ足取りの際に話題に上がったのが、要するに「誰が発砲の一発目を命令するのか」と云う問題であるがこれを小沢代表は「シビリアンコントロール」と誤ったカタカナ語を当てていた。
往々にして誤解されがちな問題であるが、シビリアンコントロールとはあくまで、政府の指揮下に国軍がある状態を指す。その際、所謂不意の一発などへの対処は現場の指揮官に一任されるのが国際常識である。
民主主義国家に於いて、国軍のシビリアンコントロールは当然のことである。具体的に云えば、米国軍が大統領の命令の下アフガニスタンに攻撃した、あれがシビリアンコントロールなのである。大雑把に云えば、開戦までの戦略を政府が一手に握るのがシビリアンコントロールである。だが、敵からの不意の開戦には現場の指揮官がどうにかするしかない。相手国の宣戦が伴えば否応なしに戦争になるし、なければその戦闘を如何に政治的に終結に向かわせるかが政府の行うことであり、両政府が停戦に合意した際に、現場部隊に停戦を命令し、それがきちんと通る状態をシビリアンコントロールが効いていると云うのである。

ドイツの偉大なる軍人・大モルトケは、時の宰相ビスマルクが軍事に口を出しすぎることを苦々しく思いこう云ったとされる。
「ひとたび軍隊が戦争に従事したならば、軍事に関する指針は、軍人のみによって示される」
シビリアンコントロールに関する日本人の誤解を一言で振り払う名言といえよう。小沢代表もこの名言を知っていればもう少しマトモな揚げ足取りが出来たかと思うのだが。

ちなみに、朝日新聞党首討論の翌日、一面の目次欄で「それなりの存在感を発揮した」と評したが、どう見ても小沢代表の敗北であった。苦肉の策的なこの評からもそれが窺えるのではないか。
野党第一党として、たとえ口だけでも「政権交代」を目指す党の党首が挑んだ党首討論。圧勝でなければとても国民は「民主に入れよう」とは思わないであろう。



では今日もいきましょうか。