旗と国歌と連隊旗と日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇陛下との関係の話を今更ながら。
軍隊に軍旗というものがあるのはある程度の方は知っているだろうが、連隊ごとに連隊旗というものがあるのは、軍事に興味が無い人は知らないのではないか。というか、「連隊」という単位すら知らない人が多いのかもしれない。
連隊に関する説明はおそらくつくであろう、リンクに任せるとして、連隊には大概、連隊旗というものがある。「大概」としたのは、旧軍に於いて砲兵連隊には連隊旗がなかったからである。砲兵隊に於いて連隊旗の代わりとなるのが砲である。ここでは、旧軍に於ける連隊旗の扱いをベースとして話を展開したい。
連隊は、基本的に同じ郷里で集められた人間で組織される。例えば、熊本で編成される場合は殆ど熊本やその周辺の人間が集められるのである。そしてその連隊は郷里の誇りであり、郷里の連隊が華々しい戦功を挙げたとでもなればお祭り騒ぎとなったようである。しかし、同郷というだけでは戦場という究極の場での団結は難しい。そこで出てくるのが連隊旗である。連隊旗は、物理的に地面に下ろし泥をつけるといったことすら許されない神聖なものであり、降伏の際は連隊旗を燃やしその屈辱を連隊旗には味あわせないようにする、といった徹底ぶりであったという。連隊旗は隊の誇りであったのだ。そして同じ連隊旗を仰ぐものとして連隊の団結は強められるのである。連隊旗は連隊内に於いて一人ひとりを繋ぎ合わせ、また、自分が連隊の一員であるという自覚を促させたのである。
そして、この役割を国家規模で行うのが国旗であり国歌である。人間と言うものは弱いものであり、こういった偶像無しでは自身がどういった国家に所属しているかという自覚などすぐになくしてしまうものなのである。
近代国家、国民国家に於いて必要不可欠なものが国民の団結であることは云うまでもない。近代国家を形成するのに最低限必要な要素は三つ。領土・政府、そして国民であることは中学校で習うことである。国民国家は、その名の通り国民が集合、団結して初めてその体を成すのである。そして、その国民が政治を行う際に用いられる手段の根底を成す思想が民主主義である。
国民国家が政治を行う際、国民は団結せねばならない。国家を構成する一員としての責任感を持たねばならないのである。これが愛国心である。ただ、愛国心と言うものは抽象的で、一言で云ってしまえば概念でしかない。人間は概念だけではどうにも動くことは出来ないのである。そこで必要となってくるのが先にも書いたように国旗であり国歌である。同じ国旗を仰ぎ見、国歌を歌うものを、我々人間は国歌を動かす責任感を有す人間として、同じ国民であるという認識を持つのである。
逆に云うならば、国旗もなく国歌もない国家は、上手く近代国家として機能し得ないのである。国民の団結を、即、全体主義のように考える輩がいるが、それは近代国家の意味を理解していないだけである。
国旗や国歌は、歴史が深ければ深いほどいい。何故なら、その深さは過去の国民、即ち自分たちと直接の血縁関係のない先祖たちとの繋がりも現すからである。同じ国旗を仰ぎ見、国歌を歌った先祖を、自分たちと同じ仲間である、と認識できるのである。ゆえに、新たに国旗や国歌を制定すればよい、と軽々しく言う輩は、この過去とのつながりを軽視しているか知らぬものである、国旗国歌の意義を知らないのである。
また、この役割を2667年間続けているのが、「憲法」上の解釈でいう、国歌と国民統合の象徴である天皇陛下である。日本国民は程度の差はあれ記紀に依れば2667年間歴代天皇国家元首として擁してきた。ここに、同じ君主に仕えてきたものとしての連帯、同胞の意識が生まれるのである。国家の歴史と先祖とのつながりが断絶することなく弛まなく続くのである。これ一つをとっても、皇室の存在というものは云い様がなく大きい。
国旗・国歌、果ては皇室の存在までに難癖をつける「国民」が日本にはいる。そういった人間は、この上のことを不幸にも理解していないのか、または飢えのことを知った上で日本国の国民の団結を乱す内憂かのどちらかである。どちらにしろ、上記に照らし合わせたら分かるように、これらの行為を行うものは近代国家に於いて「国民」ではない。ゆえに、国民に非ず、「非国民」となるのである。

先祖とのつながりを自覚しそれを誇り、また、国民同士でそれを共有し団結する。国家の原動力はここにこそある。民主主義国に於いて、これを実践する一つの形が、責任を持って政治に参加する、つまるところ選挙権・被選挙権を行使することなのだが、昨今はこれが蔑ろにされている。国旗・国歌、果ては皇室を中傷する報道機関が投票率の低下を嘆くのは非常に不自然である。投票率の低下とは即ち国民の団結の薄れの現れである。自分たちの工作活動が上手くいったことを喜びはすれど悲しむことはない。だから、いまひとつ投票率向上キャンペーンのうちが弱く、結果に貢献していないのであろう。実は、投票率の低さに反日報道機関はほくそ笑んでいるのである。


では今日もいきましょうか。