休は終われども、遣り残したことにけりはつけなくてはならないということで、本当に最後の話を。
護憲派の古典と云おうか、この、【戦争で得たものは憲法だけだ】にもコスタリカの話が出てくる。高橋哲哉は、『日本と似たような憲法を持っている国』としてコスタリカを引き合いに出し、『国境警備隊海上保安庁のような警察部隊は持つとしても軍を持たないという理想は棄てられない』と云っている。しかしながら、英国の国際戦略研究所はこれらを準軍隊として扱い、日本外務省も兵力と換算している。また、有事に際しては護憲派が、聞けば恐々とする徴兵も可能となっているのである。更に云えば、コスタリカの「非武装」は国防の大部分を米国にゆだねることによって成立しているのであって、コスタリカを目標とするならば、今以上の在日米軍が必要となる。この話が出てきている座談会では、在日米軍に対しても例によって非常に否定的な見方がされており、とてもコスタリカは目標にはなりえないのである。また、根本的な話として、総人口・経済規模・地理的要因など、日本とコスタリカはかけ離れており、とてもではないが、比較対象にはならない。「コスタリカ論」は九条護憲派改憲派の論争のなか淘汰されたものと思っていたが、未だに息づいていたとは正直な話驚きを禁じえない。
さらに、これもお約束の一つと云っていい、「軍隊は国民を守らない論」が高橋の口から展開される。ソースはご他聞に漏れず栗栖弘臣氏の著書【日本国防軍を創設せよ】である。この話に対する絶対的な壁として、絶望的なまでに存在する、民主主義への理解度というものが存在する。散々書いてきたことであるが、民主主義国家に於いては、国民が国家を守るために国防軍というものを組織するのである。ゆえに、直接的には国防軍は国民を守らない。しかしながら、国民が国家を守ることによって結果として大多数の国民とその主権が守られるのである。だから、民主主義国家は国防軍、しかも国民軍を持つのである。国民が、自分たちの権利を他国の侵略から守るために組織されるのが軍であって、それは犠牲の上に権利が成り立っているという近代以降の常識の表れなのである。
それを、自称リベラルだったり、左派だったりするような人間が理解していない、というのは我が国に於ける左派の欺瞞を如実にあらわしているのである。支共の人権弾圧に賛同するような左派が民主主義の何たるかを知るはずがない。元来、民主主義に対して左派よりも懐疑的であるはずの右派が、結果として日本国内に於いては民主主義の守護者たろうとしているのは、なんという皮肉であろうか。真の意味に於いて、日本国内に左派はおらず、それらを名乗っている人間は、「降伏主義」を「平和主義」と云い換え国民を煽動し誑かそうとしている工作員か、真の虚け者かの何れかなのである。

憲法九条改正を云々するだけでこれだけ欄を食ってしまったのは、ひとえに管理人の至らなさである。この件に関しては、一言、「軍隊のない民主主義も国家も存在し得ない」で済むことだ。

朝日新聞などには今日も投書欄に呆けを装ったような投書が載っていたが、国家の一大事に際して、なんとレベルの低い議論が蔓延っているのか、まさに鬱々とせずにはいられない大型連休であったように感じる。

明日以降は、またニュース引用をもとに国際社会・東アジアの動向を見ていきたい。


よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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