法記念日である。といっても小欄管理人にとってはそれほどめでたいものではない。だが、記念日ゆえに休めることも事実でありそれには感謝しているが、そう遠くない日、我が国が明治憲法以来の独自憲法を持てる日が来ることを願っている。それを、普段よりも強く願う日として、これからも憲法記念日を過ごしたい。いつかは独自憲法を祝える日になることを強く望むものである。
さて、昨日に引き続き、今日は辛淑玉への批判を入れたい。
辛は、昨日も紹介した【戦争で得たものは憲法だけだ】という本に於いて*1、自身の寄稿欄で『日本国憲法九条が望んだ人間』としてペルー日本大使館人質事件の際活躍したミニング氏を挙げている。氏は国際赤十字の人間であり、それゆえ、ゲリラ側も手を出せず人質やゲリラに対しての差し入れを行った。
その人物を『憲法九条が望んだ人間』としているのである。ならば、憲法九条とは国際赤十字のことか?となるのだが、この疑問への答えになるようなことは書かれていない。まったくを以て意味の分からないことを書いているのである。辛の云いたいことの端を掴める部分とすれば『別に居丈高になるわけでもなく、悲しむわけでもなく、淡々と、何の武器も持たずに、国際赤十字というゼッケンを一枚つけて行き、多くの人質を助けたのです』という一文であろう。ここから推測できるのは、辛は国際赤十字なる存在の意味を知らない、ということだ。国際赤十字とは、国際社会に於いて認められた中立組織であり、それへの攻撃は国際常識として禁じられている。もちろん、日本国憲法とはなんら関係ない。日本国憲法は一国内でのみ通じる法律であるのに対し、国際赤十字は国際社会に於いて取り決められた組織である。
このこと知っていれば、国際赤十字憲法九条を絡めることなど不可能のはずである。何せ国家は、国際赤十字のように完全なる中立、そして攻撃からの回避は不可能である。
同稿に於いて、辛は、今の憲法は過去の日本の日本人や海外人への殺戮の結果であり、また朝鮮併合の結果であるがゆえに、自分こそが憲法である、という意味の分からない、しかし、辛の普段の言動からすれば当然の結果であろう傲慢な言を述べている。ちなみに、辛の父親は戦前にしては日本人としても珍しい大卒であり、弁護士を目指していたという。つまり、所謂「強制連行」の被害者ではなく、大日本帝国内に於いてもインテリ層、裕福層を形成していた可能性があるのである。『日本が朝鮮半島を植民地にしていなければ、私はこの社会の生きることはなかったのです』と同稿に書いているが、日本が併合しなければ、大学も存在しなかった大韓帝国に於いて父親が弁護士を目指すなど、夢のまた夢であったであろうし、当時の情勢からすれば、日本が併合しなければロシアがしていた。シベリアに送られなかっただけでもよしとすべきである。辛は大日本帝国における被害者でもなんでもないのである。
他にも、『憲法球状が「武力を放棄しろ」と言っているとは全く思えません』と日本語能力の欠如を自ら表明している。現行「憲法」には武力の放棄が明記されており、もしかしたら辛は「憲法」を読んでいないのかもしれない。また、この一文に続き『それは「口だけで守れ」ということを言っているのです』と云っている。これは政治に於ける知識の欠如である。戦争とは外交の延長線上である、というのはクラウゼビィッツによって明言されているし、そうでなくてもその程度は為政者には常識である。外交で解決できぬ問題は多々ある。更に云うならば、外交における発言力の担保は、大まかに云って三つ、経済力・軍事力・地政学(国の存在する場)である。これら三つのうち特に前者の二つは、全ての国際会議に於いて重視される。地政学は、局地的な問題において時に生半可な経済力や軍事力とは比較にならない力を有する。外交は、軍事力あってのものなのである。それを分からぬ辛に外交を語る資格はない。
さらに辛は、『私はいつも「日本人に日本国憲法はもったいない」と言います』と書いているが、ならば、南北朝鮮にでも支共にでも持ってゆけばいいのであり、また日本人にもったいないものを支那人朝鮮人が生かせるとは、現在の国際情勢を見るに当たり到底思えない。というか、世界中の誰も扱えぬ代物が憲法九条なのである。扱えるのであれば当に国際連合の憲章の一番最初に書かれているであろう。

さて、長々と書いたが、最後に今日の朝日新聞を絡めつつ、今日の「憲法」に関する項を締めたいと思う。今日の朝日新聞はついに新聞社としての本分を放棄した。何をしたかというと、なんと今朝の朝刊の8紙面を使い、社説を21本書き連ねたのである。これは不偏不党を建前に掲げる新聞社にあってはならぬことだ。これはもはや報道機関の成すことではなく、オピニオン誌のすることである。このことを朝日は論座ですべきであった。決して、新聞社のしてはならぬことを平然としておきながら、「言論の自由」を訴えた朝日の姿は嘲笑の対象にしかならない。
朝日の社説、特に国際社会や憲法自衛隊に関するものは、幻想と理想の違いも分からぬ、国民を惑わす害悪にしかならぬものであった。敢えて小欄で取り上げるつもりにもならない。『9条、平和ブランドを捨て去る理由はない』というわけの分からぬ見出しを書き、憲法とは国家を縛る法であるという視点を欠如させたまま9条の平和主義を「ブランド」などとした。

もはや朝日に、報道機関を名乗る資格も、オピニオン誌を名乗る資格もない。朝日には、「売国奴」の称しか許されぬのである


明日は最後に、護憲派の具体的意見への反論を成したい。



よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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*1:今更ながら、本の題名すらおかしなものである。戦前から日本にも憲法は存在した