法記念日前日、ということで昨日に引き続き、現行「憲法」の話をまた一つ。といっても今日は、佐高信批判やら辛淑玉批判となるであろうが。
管理人は現在、【戦争で得たものは憲法だけだ*1】を読んでいる。執筆者の中心が佐高信とあって、週刊金曜日関係者をはじめとし、名だたる反日サヨクがその名を連ねている。読み応えは抜群である。
護憲関係だけかと思えば、そうではない。普段どおりの佐高節が炸裂しており、佐高の投稿した文章では相も変らぬ、「莫迦認定」が成されている。もちろん、佐高の成す「莫迦認定」は、佐高こそが莫迦である*2がゆえに、小学生と同じで、「莫迦」と云うしか他にすることがないのが原因である。
さて、この本に投稿された佐高の文から、その莫迦さ加減を論ってみよう。
佐高は、本書52ページの於いて、

幸か不幸か私は小泉と同じ大学を出ていまして、首相になる前は何度か一緒に食事もした間柄です。そこには小泉の姉さんの信子って言う人もいた*3。しかし何かをしゃべったという印象はありません。含蓄ある話をする人ではない。だから私は小泉純一郎という人は「入口入るとすぐ出口」という人だと言っている。「入口入るとすぐ出口」と言うことは奥行きゼロということです。

と書いている。大学を出た頃から小泉氏のことを知っており、当時から批判し続けていた、と云いたいのであろう。だが、佐高の過去の著作をを読めば、これは嘘であることが簡単に分かる。
管理人は一度、1990年代の対談本を読んだことがある。残念ながら書名は忘れたのだが、その中で佐高は、小泉氏のことを*4武村正義菅直人の次に評価していた。また、佐高信らを批判した【みっともない日本のバカたち*5】の中では、小欄とは別の文脈でではあるが、

「毎回批判しているばかりわけではない。たとえば小泉純一郎(中略*6)には惜しみない賛辞を捧げている」

という部分を佐高の著書【ニッポンの大問題*7】から引用している。なんと佐高は以前、小泉を絶賛していたのだ。
それなのに、自身の考え*8と違うことを言い出すと、生まれたっての宿敵かのように云い、自身の優秀さを騙るのである。
ちなみに、この文は、佐高が週刊金曜日内の自身のコラムに於いて、小泉が佐高の父親の葬儀に弔電を送ってきた理由を、佐高の発言力を恐れた飯嶋秘書官の入れ知恵ではないか、と邪推していたことに対する反論の根拠(絶賛してくれた相手の父親の葬儀の弔電を送るのは当然、という趣旨であった)なのだが、それよりも、大学に於いて同期と云うだけで、十二分にその理由となると思うのだが、佐高はその持ち前の汚らしい人間性を十二分に発揮して邪推するのである。ちなみに、この汚らしい人間性を佐高は、政権を批判するためには必要なもの、としている。
他にも、普段から飽きないものだという佐高の悪口に「小泉純一郎の準は単純の準」というものがあるが、人を、タカ派ハト派、ダーティかクリーンかでしか評価できず、根拠もなく、タカ派を批判し続ける佐高こそ単純であるとしか管理人の目には映らない。というか、この悪口ばかり得意げに云っている時点で、単純である。

今日はもう時間がないので、この辺にしたい。当分、憲法関連の話を続けるつもりである。明日は辛淑玉への批判及び、現行「憲法」に関するものをいくつか。
よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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*1:

*2:なにせ経済学者を自称してるくせに、規制緩和には反対しつつ、「デフレは国民を豊かにする」などと恥かしげもなく云う男だ

*3:管理人注・何故、ここで小泉前首相の実妹の話を、しかも敬称なしで出さねばならないのか管理人には理解できない。莫迦にするときは親族までもを莫迦にする、という佐高の姿勢の現れであろうか

*4:確か当時郵政大臣だったはずだ

*5:

みっともない日本のバカたち

みっともない日本のバカたち

*6:同書内に於いてそうなっている

*7:

*8:佐高に確固たる自信の考えがあるかは甚だ怪しいが、反日でない、という点に怒りを覚えているのであろう