清戦争後の、所謂「三国干渉」は完全に「敗戦」であった。戦争を回避しただけで、結局のところ無血開城を行ったのみである。清国との決戦ののちやっと手に入れた遼東半島を露仏独の三カ国の脅しで泣く泣く日本は手放したのである。
当時の国力を考えれば日露戦争ですら危険な戦争であったのだが、そこにロシアと連戦するなどありえる選択肢のはずがなく、干渉に対し涙で受け入れたことは非難できることではない。
しかし、当時の日本国民はまだ、なかなかに良くできた国民であった。よく知られるよう、「臥薪嘗胆」を合言葉に10年間耐え続け、結果日露戦争を薄氷ながらも勝利で飾り満州の利権をロシアから奪い返したのである。
その後、第一次世界大戦に於いて、独逸が三国干渉後手にした青島を攻略。三国干渉の借りはこれをもって返されることとなった。
もちろん、日露戦争は日本が欲して起こしたものではない。ロシア帝国の南下政策がついに日本の警戒線を超え、開戦止む無しとなったのである。
だが、いつかは、と考えていた国民と政府にとり、これは「機」であった。10年間の富国強兵が実を結んだのである。

転じて今の日本はどうであろうか。
日本は62年前に連合国を相手に敗戦を喫した。三国干渉以来、二度目の敗戦である。その敗戦を日本はどう受け止めたか。今では「敗戦記念日」などという忌まわしき呼び名がついているが、日本は、その国民性及び戦後の占領期の周到な政策の下、「敗戦」を敗戦と思わなくなってしまった。あの日から学ぶべきは富国強兵の重要性以外何物でもない。国防なくしては国家は踏みにじられるという事実以上に崇高な教訓があるだろうか?
日露戦争戦勝百周年すら全うに祝えない国家にとって戦勝の意義も敗戦の意味も、理解不可能なものなのだろうか。
ショック療法のためにも、今一度日本は蹂躙させるべきでは、という意見に時たま賛同すら憶えてしまう。「敗戦」後の過ちを二度と繰り返さないためにも、日本は戦争から学ぶべきである。

では今日もいきましょうか