MDに関する社説もまた的をえない〜批判するなら書を開け

 飛んで来たミサイルを空中で撃ち落とす。テレビゲームの世界のようなことが、日本で現実のものになりつつある。

 航空自衛隊の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が初めて入間基地(埼玉県)に配備された。

 防衛省はこのあと、二○一○年度までに首都圏や西日本各地に順次導入していく。同時に海上配備型のSM3のイージス艦への搭載も進めるという。

 日本と米国が共同開発しているミサイル防衛(MD)は、日米の軍事一体化に拍車をかけるものだ。しかし、問題はそれにとどまらない。

 「専守防衛」を踏み外すのではないか。アジアの緊張をいたずらに高めることにはならないか。

 そんな懸念が膨らむのは、配備ばかりが先行して国民への説明も議論も置き去りになっているからだ。

 専守防衛を国是とする日本は、憲法集団的自衛権の行使を禁じている。だが、安倍晋三首相はMDの運用を念頭に置き、その解釈見直しを研究するといっている。そこには米国への配慮ものぞく。

 ミサイルを迎撃するには、事前に発射の兆候をつかまなければならない。当然、日米間で高度な情報の共有が必要になる。これだけでも集団的自衛権の行使につながりかねない。

 ましてや米国を狙ったミサイルを日本が迎撃することは、専守防衛の原則からいって許されない。ただでさえミサイルの標的国を瞬時に見極めることは、極めて難しいといわれる。MDにはそんな危うさがある。

 米国のシーファー駐日大使は先日、集団的自衛権について「解決されなければならない重大な問題だ」と語った。解釈論議が前に進まない日本へのいら立ちの表れだろう。

 しかし政府は、○三年に福田康夫官房長官談話で「MDは第三国の防衛のために用いるものではない」と言明している。いくら米国にせっつかれようが日本にはできることとできないことがあると、きちんと主張すべきだ。

 PAC3やSM3の配備という既成事実を積み上げて、なし崩しで集団的自衛権の行使に道を開くようなことがあってはならない。

 すでに政府は、MDの運用に関する緊急対処要領を決めている。緊急時には現場指揮官の判断でミサイルを迎撃できるようになったが、文民統制の観点から問題はないのか。

 MDシステムの構築には総額で八千億−一兆円もの巨費がかかるが、精度はそれほど高くないとされる。果たしてコストに見合うシステムなのか。

 迎撃基地周辺の住民には、ミサイル攻撃の標的になるのではないかという不安もある。

 政府には、こうした疑問にも丁寧に答えてもらいたい。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/17833.php

北海道の新聞が東京のことを書くからこんな出鱈目を書いてしまう、というわけではないであろう。そうであればまだ救いがあるのだがそうではない。
MDに関しては専門家の中でも意見が分かれる。まぁ、管理人も迎撃が上手くいくとは考えてはいないがそれでもないよりはマシ。更に云うなれば北朝鮮のノドン程度ならば打ち落とせる、という話も読んでいる。
確かに、コストその他諸々ということを考えればMD構築よりも防空壕を作り毎月訓練をしたほうが、周辺民を守るのであればまだ確実である。詳しいくは兵頭二十八氏の著書【日本有事*1】に書かれているのでそれを参考にしていただきたい
ちなみに、林信吾氏は自著内で「ソ連のS−300というミサイルを買ったほうがよほど安く済む」といったらしいが、ロシアはMDへの参加を考えているようである*2からこれを真に受けてはならない。

さて、テレビゲームのようなこと、とのっけから湾岸戦争のあれを忘れられない北海道新聞なのであるが、テレビゲームの世界だろうとなんだろうと迎撃できたらそれが一番である。全く脈絡不明な掴みだ。
この社説の核心は

 「専守防衛」を踏み外すのではないか。アジアの緊張をいたずらに高めることにはならないか。

であろう。しかし、支那共産党*3の空母配備には一切の苦言を呈さずMDにこれとは工作機関丸出しである。支共の空母は当然ながら他国への攻撃を念頭に於いている。それが空母の基本的性格であり、また支共の性格にも一致する。それを批判せずに、日本のMDを『緊張をいたずらに高める』ものと書くのは本末転倒である。MDは対空ミサイルであり支共が『いたずらに』ミサイルを撃ち込んでこない限り活躍の機会はない。支共がこれを『緊張をいたずらに高める』もの、と云うのであればそれこ支共の侵略意図の表れであり、支共にその意図がないのであればMDは何の関係もない玩具である。支共は「莫迦なものに大枚をはたいてやがる」と笑っていればよいのだ。
北海道新聞の「懸念」は必要のないものである。
あとは「集団的自衛権」だの「専守防衛」だの「文民統制」だのであるがこれもまた常識から乖離したものだ。「集団的自衛権」とは「集団安全保障体制」とほぼ同義のものであり、それは国連の存在意義である。これを否定するならばまずは国連の脱退からである。さらに、専守防衛とは国防に於ける悪しき思想であり「討たれるまで撃てない」などという勝手な「自制」は国民を守るつもりがあるのならば今すぐ棄てなければならない。
さらに、緊急時に現場指揮官に様々な判断がゆだねられるのは近代戦以降の常識でありその歴史は19世紀後半にまでさかのぼる。これは一次大戦における塹壕戦で必要性が証明され、考えられる小隊指揮官が以後求められるようになったのである。何でもかんでも独断専行することが許されているわけではない。この「現場指揮官への一任」も軍のトップ、すなわち日本で云えば総理大臣の認可が必要で、社説にあるようきちんと政府の認可が下りている。これが文民統制というものだ。なんでもかんでも総理大臣が許可を出すのが文民統制ではない。ましてや、この社説からは、「迎撃ミサイル発射も国民の同意を得なければならない」という声が聞こえそうだ。いちいち国民投票でもするつもりなのか?弾道ミサイルが支共や北鮮から発射されどれほどで着弾となると考えているのか。先進各国の「文民統制」を学んでから社説を書くべきである。
というか、本の一冊でも読んでから書いてほしい。これでは宣伝機関であることを大っぴらに云ってしまっている。

よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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