韓国人に見せる「硫黄島からの手紙」はねぇ!〜「父親たちの星条旗」は公開決定らしいが

【ソウル7日聯合】今年のアカデミー作品賞や監督賞、脚本賞などにノミネートされているクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」が、国内で公開されるか関心を集めている。

 この映画は第2次世界大戦当時、日米最大の激戦のひとつだった硫黄島の戦いを日本軍の視点で描く。米軍の視点で描いた「父親たちの星条旗」との2部作になっているが、これよりも一段高い評価を受けている。

 しかし、韓国では「父親たちの星条旗」の封切りが15日に確定しているのに対し、「硫黄島からの手紙」は公開そのものが決まっていない。配給会社のワーナーブラザースコリアは「父親たちの星条旗」の反応を見てから「硫黄島からの手紙」の公開時期を決める計画だと話しているが、別の事情もあるのではないかとささやかれている。

 最も大きな問題は、「硫黄島からの手紙」が日本軍を国家権力によって動員された戦争犠牲者として描いている点だ。35年間日本の植民地下に置かれた韓国人の感情として、日本軍を戦争犠牲者とする映画をゆがんだ見方なく受け入れられるものかが、公開にあたっての問題だと映画界ではみている。

 ワーナーブラザースコリアのナム・ユンスク理事は、どの国でも「父親たちの星条旗」がまず公開され、その後「硫黄島からの手紙」が公開されているとし、反日感情があるために「硫黄島からの手紙」公開を避けているのではなく、まずは「父親たちの星条旗」の興行成績を見たいと説明している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070207-00000020-yonh-movi

<MovieBlog>映画『硫黄島からの手紙』で欠けているもの/中央日報

1945年2月19日朝、太平洋の小さな島、硫黄島に米軍が電撃的に上陸、静かだった島は一瞬のうちに阿鼻叫喚の現場に変わります。

日本本土を爆撃する飛行場を確保しようとする米軍とこれを阻止しようとする日本軍の戦闘は「第2次世界大戦最高の激戦」という修飾語は嘘ではありません。戦闘は以後、1カ月ほど続き、両方で2万人ほどの死傷者を出しました。

ハリウッドの巨匠、クリント・イーストウッド監督は、この戦闘を背景に2本の映画を作りました。米軍の目で見た『父親たちの星条旗』と日本軍の立場で描いた『硫黄島からの手紙』です。映画的完成度もすぐれていますが、1つの歴史的な事件を互いに違う視線で同時に映画にしたことは、イーストウッド監督の独特でフレッシュな試みでした。

特に『硫黄島からの手紙』はこれまで米国映画では珍しい日本軍の苦悩を扱ったという点で高い評価を受けています。先月、ゴールデングローブ授賞式で外国語映画賞を受賞、今月25日に開かれるアカデミー授賞式には作品、監督、脚本、音響編集など4部門が候補に上がりました。

最近、米国出張で現地の映画館で『硫黄島からの手紙』を見ました。米国では昨年末に公開されたが国内ではいつ公開されるかわからない状況です。映画は聞いたとおり感動的でした。突破口のない日本軍のつらい心情を、灰色の憂うつな色合いと、穏かで孤独な感じのメロディーを活用してよく描いていました。映画が終わって出るときには、気持ちを落ち着かせにくかったです。何だか分からない寂しい感じがいっぱいだったからです。

いろいろずっと考えてみたら、映画には何か決定的に欠けていたものがありました。

まさに植民地時代、朝鮮人の「恨」と悲しみです。

戦争は米軍にも日本軍にも悲劇でしたが、他の国の戦争に無理やり連行されて死んだ朝鮮人には、とうてい言葉では言えない苦痛があったはずです。硫黄島戦闘で朝鮮人犠牲者も多かったという事実は当時の新聞がはっきり伝えています。総督府機関紙ではありますが、唯一のハングル新聞だった毎日(メイル)新報の45年3月23日付です。「硫黄島には半島出身者または半島と縁が深い人々もたくさんいた」という記録が残っています。当時は日本軍部がマスコミを完全に掌握した時代なので、新聞は朝鮮人の被害に対して詳しく言及せずに「半島要塞化」を訴えていくことにつながります。それでも朝鮮人は強制徴集されました。不慣れな外国の地で故郷をしのびながら死と対立しなければならなかった朝鮮の青年たちの悽絶な心情を十分に察することができます。

しかし映画は朝鮮人の視覚が全く反映されず、徹底的に米軍と日本軍の戦闘だけで表現されます。硫黄島朝鮮人は60年が経て映画でさえ忘れられてしまったのです。

今後、誰か硫黄島戦闘をまた映画として作る機会があれば、朝鮮人犠牲者も忘れずに加えてください。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84423

そんな映画、自分たちで作れよ。と言いたいところですが。
硫黄島からの手紙
結局、スクリーンで見ることはなさそうです。今度、墨攻は見に行くんですが。
DVDで見ようと思います。
さて、ですので、「硫黄島からの手紙」に関しては伝聞やら報道やらからでしかかけないのですが、あの映画は、とりあえずは硫黄島での戦闘を日米の両視点から描こう、という「トラ!トラ!トラ!」並みの対策でした。
俺としては、
「アメ公が作ったプロパガンダだろ」
としか思っていませんでしたが、評判はそれなりに良いようで、また中立性、と言いましょうか日本軍視点も違和感がないようです。

この、両軍の視点からという試みは成功だった、と報道などからだけですが、俺は判断しています。
ですが、これに水を差す、というか理解していないのがお隣の韓国。
両軍からの視点を、つまり日本側の事情・視点も入れよう、という「企画」であるのに、それを根本的に否定するお国事情・国民感情
あくまで、日本軍は悪でないといけない、中共北朝鮮と同レベルの史観・民度
呆れて物も言えません。
所謂、「ヨーコ物語」事件でも分かったよう、韓国人(朝鮮人)には大東亜戦争やその前の歴史について触れる際はどんなことであっても、「朝鮮人=被害者。日本人=加害者」という構図の説明や挿入が必要なのです。
それがなければ全て歪曲であり、朝鮮人を傷付けるようです。

硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」の二部作の意味・監督の伝えたかったことを根本的に理解できない朝鮮人にわざわざこの映画を見せる必要はないです。
中共北朝鮮で作られている反日プロパガンダ映画でも上映してたらいいじゃないですか。
お望みの世界が見られますよ。



よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編


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