阿部知子議員の釈明〜あそこまで愚弄した自衛隊に関しては頬かむりに近いが

 先回のメルマガには、たくさんのご意見を頂戴致しました。私自身の表現の足らぬ部分、また事実認識のあいまいさに起因する部分もあったと思います。そこで私の伝えたかったことと合わせ、皆さんからご指摘のあったことも含めて今回のメルマガとします。
 1995年1月17日未明の阪神淡路大震災は、6000人以上の尊い生命を奪い、家屋も街も瞬時に崩壊せしめました。
 この日、私自身は千葉県内の病院で小児科の仕事に追われながら、時折テレビに映る惨状を見て何か自分の予期し得ぬ重大なことが起こったことを感じてはおりましたが、日勤に引き続く夜勤でもあり夜中まで切れ間なく訪れる患者さんの対応に追われていました。
 やっと当直があけた翌18日の9時過ぎに突然、徳洲会グループの理事長である徳田虎雄氏から電話がありました。「何をしている。一刻も早く現地に行け!」というその声に押されるかのように徳洲会グループの医師達と大阪八尾徳洲会総合病院に集合、その後は病院から神戸の垂水病院に移動しましたが、到着したのは19日のことです。途中、大きくひしゃげた高速道路の橋げた、幅広くひび割れた道路など、テレビで送られる画像をはるかに上回る被害状況にそれこそ息を飲みました。
 以降、神戸の垂水病院を拠点に、見渡す限り焼け野原となった長田町や倒壊した家屋を目のあたりにしながら救急車に同乗していました。私自身の専門は小児科であるため、約一週間小学校内に臨時に設置された救援のテントで次々と避難してこられた方々の診療にもあたりましたが、命からがらの思いで逃げて来られた方々の中には、入れ歯すら持ち出すことができず食事も取れないご高齢者や子犬を必死に抱きしめてぼう然としている子供の姿など本当に胸がつまるものでした。
 そんな中でも、小学校の校庭の池にいる亀のまわりには子供達が集まり話を交わす光景もあり、どんな時にもやっぱり学校は地域の希望の場となっていることも実感しました。

 頂戴しましたご意見の中に、自衛隊が必死にがんばっていたことへの感謝が述べられたものも多々ありました。その通りだと思います。
 初動の遅れは、当時被災状況を迅速に把握し自衛隊の出動を要請する自治体側の被害がひどく、知事も含めて身動きがとれなかったこともあると思います。また、それを受ける内閣側の体制も情報収集など不十分でした。後にこの震災に学んで96年5月に内閣情報集約センターが設立されて今日に至っております。
 当時の内閣の最高責任者は村山首相であることから、村山首相の対応の遅れを指摘されるご意見もありますが、1月17日午前10時、国土庁長官を本部長とする非常災害対策本部を設置、午後4時に村山首相は、官邸で緊急記者会見を行い、万全の対策を講じることを表明しました。私を含めてだれもが未曾有の災害に対して、十分な判断や迅速な行動がなしえなかったことについて、多くの教訓が残されたと思います。
 その重い課題を受け止め、今なお癒えぬ被災者の抱える問題を解決するために今後も政治活動に努めます。
                                                 阿部知子

21日の小欄でも取り扱った阿部知子代議士(社民党)のメールマガジンに関する釈明である。
国会議員ということもあるのかとりあえず、受け取ったようではある。
しかし、だ。
前回のメールマガジンの話の幹は、ぶっちゃけて云えば、阪神淡路大震災に託けた自衛隊批判であった。
それなのに、今回の釈明文からはそのような気配は微塵も感じられない。
阿部知子女史の阪神淡路大震災に関する貢献を聞かされても、自慢と言うかお茶を濁しているようにしか感じられない。自衛隊より自分の方が働いたとでも言いたげである、とすら思ってしまう。

自衛隊がダメだった。と云っていたと思えば、「ダメ」だった原因が阿部知子女史の大先輩たる村山富市総理(当時)や革新系自治体であった兵庫県・神戸市にあるとなると手のひらを返したように、それらの擁護に回った。180度の「転向」である。
村山元総理の至らなさが尋常でなかったことは以前引用した文章からも明らかである。釈明の仕様がない。
今回はさらに、メールマガジン「軍事情報」を引用したい。

この原因は、
Sさんもオリエントさんもお書きのとおり、
当時の兵庫県知事・神戸市長から災害派遣要請が遅れたことがすべてです。
要請が行なわれたのは、発生から約4時間経った午前10時10分でした。

そのときの村山・武村の首相官邸のあたふたぶりについては、
現地では何の感慨ももたれませんでした。
もはやすべてが終わっていたからです。
頼りないとすら思われてませんでしたね。

中方総監(当時)松島陸将の号泣姿を、ここで思い出しています。
人命救助で最も重要な初期段階でできたのが、36連隊の伊丹駅への近郊派遣のみであったことは、最高指揮官としてさぞ情けなく、悔しかったことでしょう。

当時現地にいたから知っていますが、
当日の兵庫県庁と神戸市役所(いずれも三宮近くにあります)は、
自身も被災の被害を受け、機能不全に陥っていました。
出勤できた職員も現場レベルでしか動けませんでした。

また、お恥ずかしい話ですが、
兵庫県と神戸市は国内でも名高い反自衛隊思想に牛耳られた自治体で、
他の自治体とは違い、平素からの自衛隊との交流はほとんどありませんでした。
実務レベルで自衛隊とのルートを持っていなかったとも聞いています。

とはいえ、知事や市長が現場を見て「こりゃあかん」と思えば災害派遣要請は7時までにできたはずなんですよ。

当時の、見渡す限り建物が崩れていて、あちこちで火が出ている現場を見れば、
誰でも「警察と消防では無理や」と思うはずです

ここんとこ、多くの方が見落としてる部分なんですよね。
自治体の首長は直接選挙で選ばれた大統領なので、その意思決定は首相よりも
強いんですよ。

すなわち、
震災死者の数が増えた最大の原因は当時の貝原知事(元自治官僚)、笹山神戸市長の危機管理能力・意思の欠如にあるんです。そして、出動命令を適時に出すことすらできない意思決定能力がない人物がトップにいたことです。

阪神淡路大震災問題の本質は、
あまりの被害に我を失ってしまうようなリーダーを抱えた自治体住民の悲劇であり、無能な最高司令官を抱えた自衛隊(軍)の悲劇、なんですね。

この震災はこういう形で受け止めなきゃいけないと思います。

村山元総理などの擁護がまたしても指摘されかねない釈明であり、あれほど愚弄した自衛隊への謝罪などは一切ない。自衛隊が、「口」のない団体だからと知っての「狼藉」なのであろう。
だが、自衛隊が喋れなくても、その意思を代弁してくれる人間はいくらでもいる。
阿部知子女史は次こそ、どういった意図であのようなメールマガジンを書いたのか。それが事実として過ちであったのか。という、二点を明らかにしてほしい。
まさか、このメールマガジンで事は終わったなどとは考えていないだろう。


よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編


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