「週刊金曜日」謝罪、だが……

謝罪するも「言論の自由」を強調。矢崎氏に至っては「問題ない」

本誌主催の緊急市民集会(11月19日)での皇室パフォーマンスの一部を批判した『週刊新潮』(12月7日号、11月30日発売)の記事を発端とした一連の経過と対応、見解文書をまとめるに至った経緯については、本誌12月22日号で紹介しました。
 以下は、その誌面に掲載した本社の見解表明文書です。

「11・19」緊急市民集会について

 このたび弊社主催の「教育基本法改悪、共謀罪改憲」をテーマとした「ちょっと待った!」緊急市民集会(11月19日開催)に関し、さまざまなご意見・ご批判を受けましたことについて、下記のとおり見解を表明いたします。

       記

 集会は、教育基本法の改悪や共謀罪の新設、改憲といった潮流に対して反対する立場から、10人の出演者がそれぞれの思いを語ることをメインに開催したものです。その内容については12月1日号の本誌で紹介したとおりです。しかしながら、集会の中で演じられた皇室をめぐるパフォーマンスの一部に「人権上問題あり」と指摘・批判される表現・言動がありました。

 本誌はこれまで、皇室あるいは天皇制の問題について一切タブー視することなく正面から取り上げ、さまざまな意見・論評を載せることで、社会的な議論を深めるべく努力をして参りました。その一方で、人権侵害や差別につながる表現については、これを行なわない方針を貫いてきました。

 しかし、上記のパフォーマンスは、人権およびプライバシー上、一部の表現に行き過ぎや不適切な言動があったことで、誤解や不快の念を生じさせてしまいました。集会主催者として配慮を欠いたことを率直に反省しおわびするとともに、今後開催する集会等の運営には十分に留意をして参ります。

 言論・表現の自由は、民主主義社会の存立・発展のために、他の諸権利に優位するものとされています。弊社は今後も、タブーなき言論・表現活動が民主主義の成熟につながることを確信し、その実現のために努力していく所存です。

 2006年12月13日
                『週刊金曜日』発行人・佐高 信
       編集長・北村 肇

全面降伏の割りに、

言論・表現の自由は、民主主義社会の存立・発展のために、他の諸権利に優位するものとされています。弊社は今後も、タブーなき言論・表現活動が民主主義の成熟につながることを確信し、その実現のために努力していく所存です。

とあるあたり、どうやら本心では頭を下げたくないようにも見える。
おこがましくも『他の諸権利に優位する』と書くのでは、本音としては、やはり、陛下のご病気を嘲笑し、悠仁親王殿下を放り投げることも「言論の自由」と云いたいのであろう。
それにしても、この寸劇、どこをどう解釈すれば、「教育基本法改悪、共謀罪改憲」反対になるのであろうか?その釈明もしていただきたかった。後述する東京新聞週刊金曜日擁護記事では、この寸劇を行った、劇団(と云えるものでもないと思うが)「他言無用」の「暴走」を止められなかった、ともとれる釈明している。
同集会で、
「それであっちの方は立つんですか?」
と聞いた矢崎氏に至っては、東京新聞のインタビューに対し

「ぬいぐるみの件もパロディーだと分かるし、まずい点はない」

と云ったようだ。《ぬいぐるみの件》よりも、ご病気・男性器の嘲笑が矢崎氏の「罪状」であるのだが、それすら理解していないようだ。嘲笑の対象が皇室・陛下でなければ、名誉毀損で訴えられる可能性すらある。言論の重みと責任、平易な言葉で云えば、「云っていい事と悪いこと」すら理解していない矢崎氏がこれからも公共の場で発言すると考えると末恐ろしい。
また、週刊新潮の記事によれば、王監督も台湾籍である国籍によって侮辱している。その点についての謝罪はなしなのか?
普段から、
アジア諸国に迷惑を掛けたのだ。このような謝り方ではいけない」
と声高に叫んでいる勢力である。その点に関してもどう思っているのか。
聞きたいことはまだまだ山ほどある。

東京新聞週刊金曜日を擁護。鈴木邦夫氏の言葉を借り、「悪いのは週刊新潮

 「こちら特報部」の「週刊誌を読む」欄でも既報の通り、皇室をテーマにした寸劇が週刊誌に非難され、その後、関係者らが右翼の攻撃にさらされている。劇団は謝罪文を発表、公演中止に追い込まれた。気になるのは、この週刊誌の広告に記された「不敬」の二文字だ。寸劇の内容が不穏当であれ、この二文字には「問答無用」の暗い時代を想起させる重みがある。事件の関係者らに聞いた。

 「ご皇室を敬愛される国民各位に多大な御不快の念をお与えしました。今後、ご皇室を寸劇でパロディーにしない由、堅く御約束申し上げます」

 風刺コント集団「他言無用」がホームページに掲載した文面だ。“全面降伏”した劇団関係者は「『反論権のない方に対しやるのはおかしい』という抗議に、その通りだと納得した。私たちは右でも左でもない。お客さんに笑ってもらう立場です」と言葉少なだ。

 今回の寸劇「さる高貴なご一家」は先月十九日、東京・日比谷公会堂で「週刊金曜日」主催の「ちょっと待った! 教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」の一幕で演じられた。観客は約二千人。

 週刊金曜日などによると、皇后陛下にふんしたコントのメンバーが登場。観客にマイクを向けたりしながら、園遊会の場面のパロディーを演じた。その後、サルの人形を悠仁(ひさひと)親王に見立てて話しかけ「男の子ができたら、あなたに目はないのよ」と、人形を放り出すように付き人に渡した。

 この後、作家の矢崎泰久氏たちが舞台に上がり、コントのメンバーと掛け合いに。天皇陛下前立腺がんにも触れ、矢崎氏は「あちらの生活も支障をきたしますね」と応じた。

 客席で見ていた月刊「創」編集長の篠田博之氏は「サルの人形やシモネタはちょっとハラハラしたが、みんな笑っていた」と話す。他方、客の一人だった主婦は「もっと教育基本法の話をすると思っていたので、エーッという感じ。あまり面白くなかった」と言う。

 この模様を「週刊新潮」十二月七日号が「『陛下のガン』も笑いのネタにした『皇室中傷』芝居」と報じて、事態は急展開する。特に広告では「『不敬で下劣』なイベント」と表現。

 これと同時に出演者の一人である永六輔さんの所属事務所などへの右翼の抗議が始まり「週刊金曜日」などには街宣車が約二十台も押し寄せた。劇団「他言無用」は九、十五日に予定していた公演を中止した。

 一連の抗議を受け、「週刊金曜日」も十三日「人権およびプライバシー上、一部の表現に行き過ぎや不適切な言動があったことで、誤解や不快の念を生じさせてしまいました」とする見解を抗議先に渡した。

 北村肇編集長によると、抗議は「天皇制について議論するのはよいが、ぬいぐるみに擬すのは児童虐待」「天皇のご病気の話は人権侵害」といった内容。同編集長は「(見解は)『他言無用』がまずかったと表明したことを前提に考えた。天皇制の問題は慎重にやるが、ああいう内容はマイナスだった」と説明する。

 一方、矢崎氏は「出演者の一人が出られなくなり、代わりに舞台に上がるよう頼まれた。やる前に打ち合わせはした」と説明。「ぬいぐるみの件もパロディーだと分かるし、まずい点はない」と主張した。

 この騒動の最中、二十一日から「さる高貴なご一家」を演じる劇団がある。かつて「他言無用」のメンバーが所属していた「ザ・ニュースペーパー」だ。

 ニュースペーパーは一九八八年、時事問題を鋭く風刺する集団として結成。翌年二月、昭和天皇の「大喪の礼」で「歌舞音曲自粛」のムードが日本中に広まる中で、大喪の礼をテーマにコントを上演。大きな反響を巻き起こした。

■週刊誌挑発、踊らされ…

 プロデューサーの杉浦正士氏は「週刊新潮の中吊(なかづ)りや新聞広告を見て、ほとんどの人がニュースペーパーがやったと思ったようで、心配して電話をかけてきた人もいる」と苦笑する。「私たちにもかなり影響があるだろう。(皇室ニュースを)どういうふうにやるのかという姿勢を問われる」

 その中身について、杉浦氏は「われわれの作品は思想劇ではない。反皇室でも親皇室でもなく、ニュースとして取り上げ、人間を演じてきたという自負がある」と「他言無用」との違いを強調する。その“ニュース”とは、例えば「皇室に嫁いだら男子を産まなければならないなどという理不尽」(杉浦氏)だという。

 「(自分たちのコントは)お客さんの共感を得られていると思う。メンバーは演じている小泉前首相にも、(皇室)ご一家にも共感を持って演じており、最初に人間の情がある」

 杉浦氏は「(『他言無用』は)乗せられてしまった面もあるようだ。根本をいえば、思想のない人間が思想を演じてしまった悲劇。反皇室や反体制を演じることと、われわれの芝居は違うと思う」と説く。

 「ご一家」で「大奥様」を演じる看板役者、渡部又兵衛さんはこうみる。

 「僕たちは子どもを猿にして放り投げたりするなど、人が嫌だと思うことは絶対やらないし、民間から皇室に入って苦労した人を描いている。ワイドショーも皇族のファッションを批評する時代。もう皇室はタブーではなく、ニュースのひとつになっている」

 ただ、そんな構えでも受け取る方次第という面がある。嫌がらせやテロなどの心配について、渡部さんは「僕たちがやっていることで怒ったら右翼もおしまいと思っている」と笑った。

 今回の事件を今年一月、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」(大月書店)を出版した元通信社記者の板垣恭介氏は「内容が天皇批判でも感じたことを表現するのは大いに結構だし、高度な風刺劇なら人の心に入っていくだろう。だが、人形を投げたりするのはコントとしても成り立っていなかったのでは」と厳しい目で批評する。

 「自分も、場合によっては刺される覚悟で書いている。真剣な問題提起ではなく、抗議されてあわててやめるぐらいなら、最初からやるなと言いたい」

 新右翼団体・一水会顧問の鈴木邦男氏は「週刊新潮が一番悪い。抗議した右翼の話を間接的に聞くと『あそこまで書かれてしまったら、やらざるを得ない』ということだった」とメディアの責任に言及する。

 「天皇制は暴力や法律で守られるものではない」と考える鈴木氏は、それゆえ、自らは反対する「不敬罪」が復活しかねないと懸念。こう提案する。

 「これは行き過ぎとか、これは愛情表現だという話し合いはできる。公の場で『天皇制と笑い』というテーマで議論をすべきだ」

◆「皇室」に絡む主なメディア事件

1957 小説「三人の放火者」(筑摩書房)が「不敬」とみなされ、作家中野雅夫氏が右翼に襲撃され、重傷

 61 「中央公論」誌に掲載された深沢七郎氏の小説「風流夢譚(むたん)」を「不敬」とし、右翼が中央公論社社長宅に押し入り、家政婦を殺害、妻は重傷

 63 「平凡」(平凡出版)で連載中の小山いと子氏の「美智子さま」が、宮内庁の抗議で打ち切り

 80 月刊「噂(うわさ)の真相」が皇室ポルノ記事を掲載したとして、右翼が印刷所などを襲撃。編集長が謝罪文を掲載

 83 「文芸」(河出書房新社)誌に掲載された桐山襲氏の小説「パルチザン伝説」が不敬だとして、右翼が同社に激しく抗議活動

 88 月刊「創」天皇崩御Xデー用にテレビ朝日が作成した資料を掲載。右翼が両社に激しく抗議行動

 同 昭和天皇入院でテレビの娯楽番組などの休止相次ぐ

 93 反皇室報道があったとして、右翼が宝島本社と文芸春秋社長宅に発砲

 同 週刊「SPA!」(扶桑社)での小林よしのり氏の連載で、皇太子ご成婚を扱った際、編集サイドの判断でその回のみ休止

2004 週刊「女性セブン」(小学館)が「皇太子」の「太」の文字を「大」と誤植し、発売延期

<デスクメモ> 数年前には「教室で愛国心? まさか」と考えていたが、法律になった。この国には六十年前「不敬罪」があり、天皇行幸への敬礼の際、ズボンの前ファスナーが開いていただけで捕まりかねなかった時代がある。そりゃ極端な例だ、と思いたい。でも「まさか」が「ホント」になってしまうのが現在だ。(牧)

タイトルからしてこの記事を書いた「牧」という人間は問題の本質を理解していないようだ。『右翼抗議』とあるが、右翼が抗議しなければこの件で週刊金曜日は謝罪をしなかったのか?週間金曜日は右翼《など》の抗議を受け入れ、《自らの判断》で謝罪文を掲載したのだ。それを右翼からの圧力によって無理やり謝罪文を掲載させられたかのような扇情的かつ事実誤認を招きかねない見出しになっている。
週刊新潮の「不敬」という見出しを指摘しているが、このような見出しをつける時点でその件を批判する資格はない。
さらに、本文では『右翼の攻撃にさらされている』とまで書いている。「攻撃」とは暴力的な響きを持ち、まして「右翼」のすることだ。放火でもしたのではないかとすら思えてしまう。しかしその一方で具体的なことは書いておらず、どうとでも取れるじゃないか、と逃げることも出来る単語である。つまり、東京新聞の牧という記者は、読者を安全圏から煽る目的で「攻撃」という単語を使ったのだ。この件に関する佐高ら関係者の言い訳もそうであったが、どうしてこう卑怯なのであろうか。
「不敬」という言葉への反論もおかしなものだ。週刊金曜日側は「さる高貴なお方」と云っている。「高貴なお方」へは敬意を払うのは当然ではないか?それに対する「不敬」という批判にかのような反論をよくも行えるものだと感心すらしてしまう。

その後、サルの人形を悠仁(ひさひと)親王に見立てて話しかけ「男の子ができたら、あなたに目はないのよ」と、人形を放り出すように付き人に渡した。

 この後、作家の矢崎泰久氏たちが舞台に上がり、コントのメンバーと掛け合いに。天皇陛下前立腺がんにも触れ、矢崎氏は「あちらの生活も支障をきたしますね」と応じた。

という状況描写も、事実を歪曲している。
事実としてはこうである。

やがて「ヒサヒト!本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」と叫んで、 ポーンと放り投げた。
(中略)
突然、矢崎氏が「それであっちの方は立つんですか?」と聞く。

週刊金曜日もこの週刊新潮の記事の内容を踏まえた抗議を受け入れ謝罪文を掲載している。
『目はない』?『イーラナイ!』である!

それにしたってこの関連性のなさ。タウンミーティングもびっくりである。教育基本法その他、表題とは関係の無い寸劇。タウンミーティングよりも悪質にすら見える。

この記事は一貫して、週刊金曜日を「攻撃」した右翼批判で占められているが、右翼は何もものを云うな、という本音がありありと浮かんでいる。
週刊金曜日は、皇室という反論権のないものを抽象することに対し謝罪した。しかし、東京新聞は、右翼の反論権を否定したうえで右翼批判に終始している。

こういった見方をすれば、週刊金曜日なんかよりも東京新聞のほうが数段悪質で「言論の自由」を知らない。
このような「記事」が記事となる。世も末だ。これを放置すれば日本の言論の未来は暗澹たるものになる。

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