最近の竹島問題(と云うか、韓国側の主張ばっかし)をまとめて。

毒島ライダーはウリたちのヒーローニダ!

1:ちょーはにはにちゃんwφ ★ :2006/10/24(火) 10:37:15 ID:???
(写真)
http://imgnews.naver.com/image/020/2006/10/24/200610240098.jpg

独島を守る心強い4人の男達が238日間の海外大遠征を終えて帰って来た。

23日の午前、ソウル大学通りで会ったイ・カンソク(25歳/亜洲大学建築学部3年)、キム・ヨンビン(23歳/ソウル大学経済学部2年) 、キム・サンギュン(25歳/韓国科学技術院電算学科4年)、ホン・スンイル(21歳/ソウル大学機械航空工学部2年生)さんは、帰国の挨拶の代わりに日焼けした小麦色の肌で明るい微笑みを浮かべた。

3月2日に出国し、アメリカ・イギリス・ルーマニア・トルコ・中国など21ヶ国、合計3万kmをバイクで横断して19日に戻って来た人達は『独島ライダー』。

「昨年の3月に独島問題が浮上した時に世界中の人々に独島の事を伝え、まずは身体で走る『独島外交官』になりたかった」

同じ軍の部隊や大学サークル等で知り合った者達は、共同プロモーターであるソウル・興士団(フンサダン)の援助で『独島守護・世界横断大長征』に出発、英語・フランス語・スペイン語・ドイツ語などに翻訳された独島広報パンフレットとCDを配布して、サムルノリ公演などの街頭キャンペーン、名門大学でのセミナー、メディアとのインタビューなど盛んな『独島(を正確に伝える)広報活動』を行った。

チーム最年少のホン・スンイルさんは、「世界の友達と独島に対する討論をしながら、独島が本当に私の心中に入って来た」と、10月初旬の中国・北京大学の学生達との討論を説明した。

この大学の中国人の教授達は、これらの独島セミナーを敏感に察知してセミナー室の貸し出しを承諾せず、急に日程が取り消しされた。だがこれらは教室の前で広報ポスターを貼り付け諦めずに待ち続け、中国人学生2〜3人に会って近くのカフェで結局セミナーを成功させた。

キム・サンギュンさんは大学ノート4〜5枚に細かく討論の内容を書き留めて、東北工程などに対して鋭い質問を投げてきた中国人学生達の真剣さを忘れられなかった。

チーム主将のキム・ヨンビンさんには、アメリカの日刊紙『サンフランシスコ・クロニクル』とのインタビュー記事を見て尋ねて来た、アメリカ人のチャックさんとトレーバーさんがバイクを整備して励ましてくれた思い出を大切にしている。サムルノリをして街頭広報を広げる彼の懐に黙って20ドルを入れてくれた黒人女性、チキンを買って客に聞かせた韓人海外同胞など、全員が暖かい思い出として残っている。

ソース:NAVER/東亜日報(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=020&article_id=0000372094

次はぜひ、国連前まで云って、『独島外交官』になってきてください。

つか、

サムルノリをして街頭広報を広げる彼の懐に黙って20ドルを入れてくれた黒人女性


毒島詐欺!??


「良心的」日本人だって、毒島は韓国領だと云ってるニダ!

1:ちょーはにはにちゃんwφ ★ :2006/10/28(土) 18:12:28 ID:???
▼日本政府の官僚らが『独島編入院』提出運勢 ▼日本の学者「外務省幹部など3
名が中心的役割」

(写真:島根大学内藤正中名誉教授)
http://imgnews.naver.com/image/001/2006/10/27/382006102700200_1.jpg

(ソウル=連合ニュース) キム・ヨンス記者=1905年に日帝が断行した自国への独島の領土編入は、ロシアとの戦争を勝利する為に当時の日本政府の要職に就いていた官僚らが、いち漁業者を手引きして作り上げた事であるという事実を、日本の学者の研究を通して具体的に解き明かされた。

特にこれらの官僚は、独島が韓国領土であると言う事実をよく理解している立場に居たにも係わらず、独島を島根県に強制的に編入する『工作』をした事が明らかになった。

日本・島根大学内藤正中名誉教授は、26日に[連合ニュース]とのインタビューで、1905年の日本の独島編入は当時、外務省の山座円次郎政務局長、農商務省の牧朴真水産局長、海軍省の肝付兼行水路部長などの3名が中心的な役割をした」とし、「当時これら全員は、独島が韓国領土であると言う事を、知らないはずが無かった者達である」と語った。

内藤教授によると、これらの3名は1904年に独島であしか猟をする為、韓国側に貸下願(独島利用申請)を出そうとしていた中井養三郎という漁業者をそそのかし、彼の『貸下願』の申請を『独島の領土編入並に貸下願』に変えて日本政府に受け付けさせるなど、独島の領土編入を導く中心的な役割をした。その後日本政府は、中井の申請を元に1905年1月28日の閣議決定を通じ、独島を日本領土へ強制編入した。

内藤教授は、地方の古文献などを元に独島問題を長期間研究して来た史学者で、日本の独島領有権主張には問題があると指摘して来た代表的な日本の学者である。

彼は、「中井は独島を韓国領土と知りながら韓国政府に貸下申請をしに東京に出向いたが、『独島は韓国よりも日本に近い』と言う肝付水路部長らの言葉を聞いて、当初の計画を変えて『領土編入並に貸下願』を1904年9月29日に日本政府に提出した」とし、「この過程で肝付は独島までの距離を言及しながら誤魔化した」と指摘した.

内藤教授によれば、肝付は独島までの距離を普通なら韓国は鬱陵島ウルルンド)から、日本は隠岐島から計算しなければならないが、それぞれを両国の本土から計算して独島が距離的にも韓国よりも日本が近いと誤魔化した。

これと共に内藤教授は、独島領土編入に関与した中井水産局長と山座政務局長が、当時の日本人が韓半島に進出する際の必須指針書に、独島が韓国・江原道(カンウォンド)に属する韓国領土と書いている韓海通漁指針(1903年)と、最新韓国実業指針(1904年)にそれぞれの序文を書いた張本人だという事実も明かされた。

ソース:NAVER/連合ニュース(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=001&article_id=0001451427

内藤教授は、「山座は、外務省の政務局長になる前にソウルに勤めていた韓国通で、1900年に大韓帝国が勅令を通じて独島領有権を確認した事を知らないはずが無いし、肝付も海上航路をよく知っていて、当時の独島がどの国の領土であるかを知っている立場だった」と説明した。

特に山座政務局長の場合、本人が序文を書いた本では独島を韓国領土と言ったにも係わらず、序文の執筆直後の1904年の7月に自分を尋ねて来た中井には、「(露日戦争の)時期が時期だけに、(独島を)領土として編入しなければいけない。望桜を建築して、無線又は海底電線を設置すれば敵艦を見張るのに非常にいい。速かに申告書を送りなさい」と領土編入願の提出を促した。

一方、日帝が独島領土編入を急いだのは、当時の韓半島を巡る日本とロシアの間の領土・利権争いの為という分析も新しく提示されている。

世宗(セジョン)大学の保坂祐二教授は、日帝の独島編入は韓日議定書が1904年2月に締結され、日本が大韓帝国内の領土を軍事用として使える権利を獲得して以降に成立したという点などに注目している。

保坂教授は27日、ソウル大学で行われた『独島・教科書問題国際学術大会』で、「これまで露日戦争の際に独島に望桜を設置し、ロシア艦隊との戦争を有利に進める為に日本が独島を編入したと説明されて来たが、日本は韓日議定書締結により敢えて独島を日本の領土に編入しなくても、十分に独島を軍事用として使う事が出来た」と指摘した。

(写真:世宗大学・保坂祐二教授)
http://imgnews.naver.com/image/001/2006/10/27/382006102700200_2.jpg

これに関連して保坂教授は、1897年から1905年の間にロシア人が鬱陵島森林伐採権を掌握するなど鬱陵島までがロシアの勢力下に入ると、日本が独島も韓国領土ではなく日本の領土にする必要があったと思た。言い換えればロシアの勢力が独島まで拡がる前に、独島を日本の領土に編入しなければならないと判断したと言うのである。

保坂教授は、「この過程で日本は『竹島鬱陵島』、『松島は独島』という日本での伝統的認識を無視し、『島名の混乱』を巧みに利用して独島(リャンクール・ロックス)は無主地という風に歪曲した論理を構築した後、1905年独島を無主地と規定して島根県に強制編入させる暴挙が成立した」と指摘している。

ソース:NAVER/連合ニュース(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=001&article_id=0001451427

1:ツンデレおまコンφ ★ :2006/10/25(水) 09:41:43 ID:???
鬱陵島と独島が韓国の国境線の中に含まれた19世紀末の日本軍用実測指導用地図が公開された。

世宗大・保坂祐二教養学部教授が最近見つけた実測日清韓軍用精図は日本軍部が10余年の間、調査した内容を民間人の吉倉清次郎が 1895年編集したもの。

この図は横約105cm、縦約75cmで緯度硬度とともに朝鮮、清、日本とロシア一部が出ているし、鬱陵島(竹刀・竹島で表記)と独島(松都・松島で表記)が朝鮮領海に位している。

保坂教授は「明らかに引かれた朝鮮の国境線内に独島が含まれた指導図は今度初めて公開された。」と言いながら、「日本が独島を島根県編入させた1905年以前の正確な指導地図が公開されて、現在の日本政府の主張が偽りであるのを見せてくれている」と付け加えた。

東亜日報(韓国語)
http://www.donga.com/fbin/output?f=c__&n=200610250117

※記者が機械翻訳を使い、手を加えました。

まぁこうも速射砲みたく竹島に関する主張がでてきますねぇ。出すのはいいですが、もう少し精度上げてきてくださいよ。下手な鉄砲数打ちゃあたる。じゃないんですから。

まず、うえの内藤氏から。

「中井は独島を韓国領土と知りながら韓国政府に貸下申請をしに東京に出向いた

韓国政府は当時東京の官庁街にでもあったんですかね?亡命政府?大使館とかその辺なのかな

『貸下願』の申請を『独島の領土編入並に貸下願』

いや、「独島」って……日本人のなんだからせめて、リャンコ島とかリアンクール島くらいにしといてくださいよ……

彼は、「中井は独島を韓国領土と知りながら韓国政府に貸下申請をしに東京に出向いたが、『独島は韓国よりも日本に近い』と言う肝付水路部長らの言葉を聞いて、当初の計画を変えて『領土編入並に貸下願』を1904年9月29日に日本政府に提出した」とし、「この過程で肝付は独島までの距離を言及しながら誤魔化した」と指摘した.

もはや意味がわかりません……
別に、韓国領であるとは一つも書いていないんですが……これだと、中井氏は竹島を無主の地と見ていなければ成り立たない論理になりますが、内藤教授は先に、中井氏は韓国側に要請にいこうとした、と書いてます。
果たして中井氏は竹島を韓国領か無主の地か、どちらと判断していたんでしょうかね。

独島が韓国・江原道(カンウォンド)に属する韓国領土と書いている韓海通漁指針(1903年)と、最新韓国実業指針(1904年)にそれぞれの序文を書いた張本人だという事実も明かされた。

はじめからこういった主張を為すべきなんでしょうが。きっとこれも、大韓帝国勅令並に価値のないもんなんだろうなぁ。

内藤・保坂両人の主張に共通して云えることですが、大韓帝国勅令に竹島領有に関する法的な意味は皆無なんですがね。

21:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/10/28(土) 18:20:24 id:Ivefwi8p [sage]
>>10
一九〇〇年に大韓帝国勅令で韓国が領土主張した「石島」は今の竹島だ。 *1

と言う妄想を検証なしに信じ込んでいるボケ爺のたわごとです。


23:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/10/28(土) 18:23:10 id:Ivefwi8p [sage]
まぁ存在しない石島を領土主張した大韓帝国勅令第41号自体が

緯度経度載せていなくて国際法上は意味のない文書だと言うのもこの爺は知らないです。


28:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/10/28(土) 18:25:58 id:jCAWJnPU
http://kamomiya.ddo.jp/C01e.html

名前 内藤正中(ないとう せいちゅう)
現職 (1929- )、島根大学名誉教授(日朝関係史)、鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所所長主な業績 環日本海経済圏の理想から、竹島領有権問題では日本の言い分に利が無い(おそらく故意に鬱陵島竹島を混同している)と言い張る研究者。但し、国際法竹島の帰属問題に関しては自分の研究範囲を超えると、責任回避も忘れない。日本教職員チュチェ思想研究会で講演を行なう等、在日擁護と多民族共生論にも熱心。

主な著作 自由民権運動の研究(1964)、島根県の百年(1982)、日本海地域の在日朝鮮人(1989)、島根県の環日本海交流(1993)、島根県の歴史(1997)、韓国江原道と鳥取県-相互理解への道(1999)、竹島鬱陵島)をめぐる日朝関係史(2000)


保坂の主張は余計に意味不明ですが。

これに関連して保坂教授は、1897年から1905年の間にロシア人が鬱陵島森林伐採権を掌握するなど鬱陵島までがロシアの勢力下に入ると、日本が独島も韓国領土ではなく日本の領土にする必要があったと思た。言い換えればロシアの勢力が独島まで拡がる前に、独島を日本の領土に編入しなければならないと判断したと言うのである。

日本がロシアに負けたら竹島もくそもなかったはずですが……戦時中にわざわざロシアの勢力拡大を意識して竹島編入って。しかもこれだと、
「毒島侵略は朝鮮侵略の第一歩ニダ!」
っていうお決まりの主張も否定されなきゃならないんですがね。もし、この時、大韓帝国を併合するつもりだったらわざわざ竹島だけ先に編入する必要はありませんから。つか、何度も云いますが、竹島は当時無主の地なんですがねぇ。
何を云いたいのかさっぱりですが*2こんな廬武鉉酋長の演説に真っ向から反する毒島主張を許してていいんですかね(笑)

ちなみに、

保坂教授は、「この過程で日本は『竹島鬱陵島』、『松島は独島』という日本での伝統的認識を無視し、『島名の混乱』を巧みに利用して独島(リャンクール・ロックス)は無主地という風に歪曲した論理を構築した

ってのは、保坂にこそふさわしいレッテルですがね。
下は日本軍の地図が〜って記事に関するレスです。ま、彼らの主張全体にも当てはまりますが。

436:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/10/26(木) 06:48:00 ID:14Iw7lFA
>>1
その「竹島」は間違いなく鬱陵島
そして「松島」と書かれているのも、おそらく、鬱陵島

これは明治時代に、イギリスとフランスが鬱陵島をそれぞれ、アルゴノート島、ダジュレー島と別々の島として登録した事が誤謬の発端。
世界地図にも反映されてしまった。

その誤謬を日本に持ち込んだのがシーボルト
シーボルトはアルゴノート島、ダジュレー島をそれぞれ、日本の古地図にある竹島鬱陵島)と松島(竹島)の事だと誤解した。

この誤解が更に明治政府の地図に反映される。
したがって、明治初期の地図には、鬱陵島が2島あり、「竹島」「松島」と表記されている。

ちなみに、その頃の地図には、現在の竹島は「リアンコール岩」と書かれている。
竹島は東西の2島に分かれていて、その事は当時の地図でも明記されている。
ところが>>1の松島(竹島)は別れておらず、大きさも鬱陵島と同等に書かれている。

つまり>>1の島は間違いなく、アルゴノート島、ダジュレー島のことである。

※参照
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/takeshima.html

ご愁傷さまです



1:犇@犇φ ★ :2006/10/29(日) 12:18:13 ID:???
■日本の学者:「独島領有権は説得力貧弱」

「外務省が竹島(独島の日本式表記)など領土紛争地域を「日本固有の領土」と説明することは説得力が弱い。」

国際政治が専門の日本の有名教授が、韓国・中国・ロシアなどと領土紛争をしている自国の論理的弱点を指摘して領土紛争解決策を提示する講演を行ない、注目を集めている。

筑波大学の波多野澄雄教授(59)(国際政治経済学)は27日、嶺南大学独島研究所が主催した「独島の月(10月)記念招請講演会」で、「国境問題の打開のために」というタイトルの特別講演を行なった。

日本の外交文書編纂委員を歴任したこともある波多野教授は講演で、「日本の外務省のホームページを見ると、『竹島は、歴史的事実に照らしても国際法の上でも、明白に我が国(日本)固有の領土だ」と説明しており、日本では一般的に『固有の領土』というのは過去に外国の領土になったことが無い地域と理解されているが、このような意識は世界的に通用するものではない」と
主張した。

波多野教授は一例として、「ヨーロッパは歴史的に国境が絶えず移動しており、そこで生活してきたヨーロッパ人にとって、一回も外国の領土になったことが無いという意味での『固有の領土』というものは存在しないから、固有の領土というのは非常に説得力が弱い」と強調した。

波多野教授は、「第二次大戦前後に領土紛争があった中国とロシア、ベトナムと中国は、領土と領海を『ノン-ゼロサム-ゲーム』(NON Zero-sum Game)または『ウィン-ウィン-ゲーム』(Win-WinGame)に切り替えて、50:50の方式で解決した」と指摘し、「50:50の方式は、領土や領海を均等にお互いに分けるのではなく、双方が主張する歴史的経緯と固有の領土という主張を一応保留して、双方が現実的な利益を獲得するように妥協するという考えを基礎にして成り立つものだ」と付け加えた。

波多野教授はまた、「『ウィン-ウィン』のためには、安全保障・エネルギー・経済協力・文化など領土以外の項目を広く包括するパッケージ交渉をして、その中に領土問題を含めるなどの方法が必要だ」と提示した。

このほか波多野教授は、「ドイツは第二次大戦後、一時的に領土回復を断念して国境の現状維持を受け入れ、結果的にヨーロッパ全体の平和とヨーロッパ共同体という大きな果実を手に入れた」と指摘して、「近い将来に中国と韓国、極東ロシアまでを含む『東アジア共同体』が現実化するか共同体に至るプロセスが明確になれば、この地域全体の平和と利益という大きな目標のために領土問題で互いに妥協して譲歩する動きが出てくる」という見通しを述べた。

▽ソース:東亜日報聯合ニュース配信記事)(韓国語)(2006.10.27 11:44)
http://www.donga.com/fbin/output?f=j__&n=200610270329

▽関連サイト:Wikipedia「波多野澄雄」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%A4%9A%E9%87%8E%E6%BE%84%E9%9B%84

要は、

「『固有の領土』は誤解を招く」
「日韓友好のために竹島は諦めろ!」

ってことですかね。
竹島は、当然、韓国領になどなったことはありませんし、東アジア共同体なんて夢物語かつ、日本の国益を大きくそこなう妙な「新興宗教」のために竹島を手放すなんてありえませんよ。そもそも、竹島問題は戦後、李承晩ラインから始まったんですが、それも理解してない、いや、韓国での講演ですしわざと無視したんでしょうね。
呆れて開いた口が閉じませんよ……

*1:石島(とくと)と独島(どくと)は音が似ているか同じ島を指すって主張です。朝鮮人は正気か!?

*2:日本の謀略ってのを煽りたいんですかね。それにしたって、日本は国際法上の正当な手続きを取っているわけですから、かりに謀略だったとしてもなんら疾しい事などなく、竹島は日本領という主張は揺るぎませんが