朝日って、戦争責任について謝罪とかしたことあるっけ?

タイトルからして、なんかセンスがない、気持ちの悪い感じですが。
さて、まぁ、一つ一つ見ていきましょうか

 中国への侵略から始まった日本の戦争をめぐる論議が、この夏、活字メディアやテレビで盛り上がった。

冒頭から俺と朝日は分かり合えません(笑。
リットン調査団ですら、満州事変は自衛的要素が強いと報告していますし。

参拝支持派の雑誌は「靖国批判にだまされるな」「中国を沈黙させよ」と主張した。勝者が一方的に裁いた東京裁判は認めない。侵略ではなく自衛の戦争だった。南京虐殺はなかった。そんな論調も小泉政権下で声高になっていた。

ちょと待てよ。朝日なんかは、小泉首相
「突き詰めれば、靖国参拝を批判している勢力は中韓の不満を買うなと言っているに等しい」
ってな感じの発言に、酷く反応して金切り声を上げていたのに、この記事も、言ってみたら靖国参拝肯定派の極端な意見しか載せてないですよ。小泉首相を責めれませんよ。これじゃあ。

結論はおおむね私たちの考え方と一致していた。東京裁判と重なるところも多い。例えば、東京裁判で絞首刑になったA級戦犯7人は、軽重はともかく、みんな責任はあるという認定だった。

ここで言う「責任」ってのは、『敗戦の責』なのか、所謂、『A級戦犯としての責』なのかってので大きく分かれると思うんですが。
と言いましても、どっちにしろ、東京裁判の判決で絞首刑になってるわけですから、A級戦犯としての罪は雪がれ、敗戦の責でも名誉回復の国会決議がなされています。
確かに、前者、『敗戦の責』は指導者として免れないです。でも、もう絞首刑によってなくなったんです。それでもまだ、「責任」を問い続けるんですか?もう果たしたんじゃないですか?それに、「責任」を問うたとして、どうなるんですか?屍に鞭を打ちたいんですか?この辺に朝日新聞や読売新聞は答えるべきだと思います。


 日中戦争を拡大させた近衛文麿首相について、太平洋戦争を始めた東条英機首相に次いで重い責任があるとした。日中戦争が泥沼化した先に太平洋戦争が起きたことを思えば、共感できる。

 「戦争を続けた責任」を追及したのは新鮮だった。このため終戦を先送りした鈴木貫太郎首相も重い責任を問われた。

戦争ってのは、一国が勝手に推し進めるもんじゃないんです。中華民国があってこそ支那事変があったんです。その視点が抜け落ちてますね。
鈴木貫太郎首相にしても、天皇陛下の立場がどうなるのか分かってなかった当時、どう講和をするか探っていたのではないでしょうか。と言っても、アメリカが交渉を打ち切って始まった大東亜戦争です。どこまでアメリカに講和の意思があったかは疑問ですが。

15日の社説には、「犠牲者は、日本国民だけではないが……」とあるが、おびただしい犠牲を出したアジアの人々への責任には踏み込まなかった。それも物足りなかった点だ。

『おびただしい犠牲を出したアジアの人々 』ってのはまさか日本軍のみによって成されたとでも思っているような一文ですね。何を考えてるんでしょうか。


この意味で、NHKが放送した「日中戦争――なぜ戦争は拡大したのか」は、南京虐殺の真相にも迫った力作だった。兵士の証言や新資料を使って、甘い見通しで始め、軍の独走を防げなかった戦争の実態を描いた。ほかにも、「硫黄島玉砕戦」「満蒙開拓団はこうして送られた」などの優れた番組が目についた。

この番組は酷かった。事件の有無、規模が議論されているのに、はじめから、あるという視点で番組が構成されていましたから。支那プロパガンダを垂れ流していた印象があります。ひたすら、残虐性みたいなのを誇張しつつ、正確な被害者数には口を開かない卑怯っぷりもなかなかでした。
一連隊で6000人殺した(らしい)のだから、全体の数字は途方もないはずだ。
みたいな番組構成は如何なものでしょうか?
そんな番組を褒めるなんて、朝日らしいと言えば、らしいのでしょう。同じ穴の狢です。


時間が無いので、今日はこの辺で

あー、2万ヒットなのに。。。



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鬱々日記〜特定アジア3面記事編


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ケータイからですが、朝日の社説についての続きを

力がこもった報道はそれだけではない。毎日新聞は連日、靖国問題を考える連載や特集を組んだ。A級戦犯合祀(ごうし)に昭和天皇が不快感を持っていたことを裏付ける元宮内庁長官のメモをスクープした日経新聞のことも忘れがたい。

朝日新聞も、大型企画「歴史と向き合う」などで戦争責任や戦没者の追悼のあり方を問い直す作業を続けている。

保守論壇の雄である産経新聞大東亜戦争靖国問題について書いていたはずですが、黙殺ですか。少しでも触れるべきではなかったのでしょうか。たとえ、
『我々とは意見を異にするが、産経新聞などの保守論壇にも先の大戦に関するさまざまな主張が紙面を飾った』
程度でもいいですから。これではまるで同人誌です。同じような主張の者どうしが誉め合い舐め合っているだけです。とても全国紙が書くようなものではありません。それとも、最初のほうで、

参拝支持派の雑誌は「靖国批判にだまされるな」「中国を沈黙させよ」と主張した。勝者が一方的に裁いた東京裁判は認めない。侵略ではなく自衛の戦争だった。南京虐殺はなかった。そんな論調も小泉政権下で声高になっていた。

と一方的なレッテル張りをしたのでこれ以上言及する必要はないとでも考えたのでしょうか。もしそうだとしたら、朝日新聞の報道機関としての自覚を疑うばかりです。
また、この部分からは、進歩的論壇のトップは我々だという醜い自己主張が感じられるのですが、みなさんどうでしょうか?他紙についてこのような表現の仕方で言及してよいのかと思います。

読売新聞は検証の総括で、「軍の力がそれほど強くなかった満州事変の時点で、メディアが結束して批判していれば、その後の暴走を押しとどめる可能性はあった」と書いた。
全く同感だ。

メディアが権力を監視し批判する使命を放棄したらどうなるか。この重い教訓を忘れないようにしたい。

結局、この社説は、渡辺恒雄主筆の個人的感情による読売新聞の左急旋回*1への熱烈的な歓迎記事としか見れません。朝日が自社の社説欄を私用なラブコールに使った悪質なものでないでしょうか。

メディアが権力を監視し批判する使命を放棄したらどうなるか。この重い教訓を忘れないようにしたい。

とした決意は大変結構なことです。ですが、メディアは公器・第四の権力であり、中立性を第一にすべきであるという原点をお忘れにならないでほしい。
先程も引用しましたが、産経以外の大手紙を称賛した部分です。あの部分こそ、異論を認めなかった暗黒時代のように語られる、『いつか来た道』そのものでないかと俺は思うのです。


あと、反省だなんだと書き連ねるのも善いですが、朝日新聞などは先の大戦に関する謝罪広告なりを一度でも掲載したことがあるのでしょうか。俺の知るかぎりはないはずです。社説やその他記事でも、たびたび、メディアの罪を書かれますが、自覚があるならば、日本政府や天皇家までがそうしてきたように、頭を下げ謝罪を述べることをすべきではないでしょうか。そうでなければ、所詮口先だけであり、今以上にマスコミ離れが加速するやもしるません。
帝国政府が、対米交渉に血道をあげ、日米首脳会談だ、いやまずは事務レベルでの調整を、などと国運を賭け交渉をしていた最中に、『東條の弱腰。なぜ対米開戦をせぬ』などと扇情的に煽ったことをお忘れなのでしょうか。老婆心ながら、隗より始めよという言葉を送らせていただきます。
それと、シベリア抑留が続く最中、スターリンの死に際し、小学生新聞に、『子供好きだったスターリンおじさん』という見出しを掲げたことも我々は決して忘れませんよ。

*1:詳しくは、『諸君!4月号・朝日&読売「言論翼賛体制」の亡霊/潮匡人』による