「ソ連の脅威」は遥か彼方〜札幌市で「無防備平和条例」直接請求

 札幌市民による「無防備平和条例」の直接請求運動で、市選挙管理委員会は16日、市民の署名を4万1619人と確定。市議会への条例提案に必要な法定数を1万427人上回り、直接請求が成立した。

 運動主体の「無防備地域宣言をめざす札幌市民の会」は19日に市選管から署名簿を返され、22日に上田文雄市長に条例制定の請求書や条例案などを提出する。

 請求代表者の森啓・北海学園大教授(自治体学)は「市民から権限を負託された市長と市議は重く受け止めてくれるだろう」と話した。【内藤陽】

毎日新聞 2007年11月17日

http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20071117ddlk01040083000c.html

これに関しても話は同じである。
所謂「無防備地区宣言」をしたところで、この宣言の法的根拠はジュネーブ条約であり、この条約を批准していない国は守る義務を負わない。ちなみに、日本の周辺諸国で、かつ日本の(仮想)敵国である紅支那北朝鮮・ロシアの三国はそろいもそろってこの条約を批准していない。つまり、この宣言をしたところで日本の諸都市では事実上無意味なのである。
また、この宣言は以前取り上げたときも書いたよう、もう一方の当事国である日本にも影響を及ぼす。自衛隊の機動・展開に多大な実害を与える可能性は極めて高い。
たとえ、この宣言が有効とされ、無血開城的にその都市が占領されたとしても、自衛隊は日本国の国防軍である以上、その責務を以てしてその都市の奪還に動くであろう。このとき、もはや無防備都市宣言は有効ではないと考えるべきだ。自衛隊の進軍に対して、敵国が素直にその都市を明け渡すはずがない。必ず戦闘が起こる。その際どうなるか、書く必要はないであろう。

更に管理人が疑問に思うことは、この、「無血開城」となる事実を署名した方の何人が知っているかということである。なるほど、『無防備平和条例』という名には平和を愛しているような響きがある。この条例に賛同しないような人物は、まるで軍国主義者や好戦的な人物にすら見える。このような美しく、理念に満ちた条例の成立に何故反対するのか。「平和」という言葉は、云い方が悪いが、非常に危険なものだ。反対することを許されない言葉である。これに反対するような人間は、人非人と扱われかねない。この一つの単語だけで異様な強制力を持つ。そのような単語を軽々しく振り回すべきではない。無防備都市宣言で平和に直結するのか。管理人の回答は「否」だ。隣国が、非友好的で交戦権を有し国軍を有し現実的な我が国への攻撃力を有している以上、戦争の可能性は常に付きまとう。無血開城が即ち平和なのか。
「無防備地域宣言をめざす札幌市民の会」のブログ「札幌市無防備平和条例(案)」があった。一読して感じられるのは現実の戦争に対する無力さである。このような空疎な文章に命を、平和を託すことが出来ると考える人々を管理人は信じることが出来ない。
例えば、紅支那が軍事行動を起こし、札幌を占領したとしよう。条文には、『札幌市に居住するすべての人は、平時においても、戦時においても、人権の侵害、自然および文化環境の破壊を受けることがあってはならない』(第2条 2)とあるが、現実に紅支那の人権状況は日本のそれより遥かに劣悪である。また、戦時に於いてまで人権が平時と同じく守られるなどどこの国の支配下に入ろうがまずありえない。それは紅支那出会っても同じである。他にも、『札幌市は非核三原則を遵守し、市内における劣化ウラン兵器を含む核兵器の製造・配備・貯蔵および札幌市域への持ち込み・飛来・通過を拒否する』(第5条)ともあるが、ならばこの条文に沿って北朝鮮などがミサイル発射の示威行為を行う際に札幌の上空通過を阻止できるかとなると、答えはあまりにも明快だ。阻止できるはずがない。そして、この(仮想)敵国に対しては無意味でしかない条文も、日本国に対しては、ジュネーブ条約の締約国であるという事実も含めて、重くのしかかる。

札幌市は、戦時あるいはそのおそれが明白なとき、住民の生命と財産を守るため次の各号の要件を満たす地域で無防備地域宣言をおこない、日本国政府および関係当事国に通告する。無防備地域とは次の要件を満たす地域であり、紛争当事国からの武力攻撃が禁止される地域のことである。

(1) すべての戦闘員が撤退しており並びにすべての移動可能な兵器及び軍用設備が撤去されていること。

(2)固定された軍事施設の敵対的な使用が行われないこと。

(3)当局又は住民により敵対行為が行われないこと。

(4)軍事行動を支援する活動が行われないこと。
(第7条 2)

これが無防備都市宣言の幹であるのだが、これを忠実に守れば、日本の国防に甚大な被害を与える。隣接都市のみならず、周辺の広い地域の防衛に痛手を与えるであろう。札幌という大都市にして交通の要所が使用不可能になるという事実は、前述の様にあまりにも大きな悪影響を及ぼす。すべての移動に制限がかかり、結果、敵国の侵攻に対し数多くの有効な対抗手段を放棄せざるをえなくなる。
これらの、条文を遵守した際に起こりうる可能性は、果たして署名活動の際に説明されているのであろうか。されていないであろう。
「平和」を声高に叫び、その裏にある、あまりにも大きな実害には見向きもしない。あまりにも卑怯な方法だ。
そして、この宣言を受けて実益を手にするのはどこの国か。日本か?日本国民か?そのようなはずがない。これは利敵行為に他ならない。
条例案のあちらこちらにちりばめられた「キーワード」。
『北海道の歴史はアイヌの人々に対する侵略の歴史』
『戦前・戦中の強制連行などにより、日本に居住することを余儀なくされた在日朝鮮人・韓国人』
『現在の日本の政治は、戦前の軍国主義時代にもどるような動きが進んでいます』
教育基本法の改正により、教育に対し国家の支配を強めようとする動き』
自衛隊が国民の活動を監視するという、憲兵政治を復活させるかのような動き』
憲法を改正し、9条の平和主義を変えて「戦争のできる国」にしようとする動き』

これらの言葉が、この活動を行っている人間の思想と狙いを炙り出す。
管理人はそう思えてならない。

確かに、戦争は文民に対しても犠牲を強いる。しかしながら、この条例が考えるような犠牲は、我が国が我が国であるために、未来の子孫たちが今と変わらぬ平和と自由を享受し、日本国民であると胸を張って云える様にするために、甘受しなければならない犠牲ではないであろうか。




よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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