靖国と報道機関と安倍首相と

くなったが、靖国参拝を中心に色々と書いていこうと思う。
報道されたとおり、安倍首相は敗戦の日靖国に参拝しなかった。巷では終戦の日、あろうことにか「終戦記念日」などとすら呼ばれているようだが、我が国が敗戦を喫した国辱の日であるこの日を「記念日」などと管理人は呼べない。そういった意味では、敗戦の日靖国へと参拝することはまた微妙なことではあるが、しかし、英霊を慰撫するのに適さない日と云うわけでもない。この日と、さらには対米英蘭戦の開戦記念日である12月8日の年二回の参拝が公職にある人間、そして東京にいる人間として適当ではないかと思う。
それであるのに、安倍首相は8月15日の参拝を見送った。「見送った」と書くと次があるようにも聞こえるが、その「次」の見通しはない。
そして、防衛省では大臣に事務次官が楯突くというとんでもない事件が起こった。報道機関は安倍政権批判も兼ねて、特に反日であり我が国の国防を貶したがる報道機関は特に、面白おかしく本件を報じた。しかしながら、我が国の国防に関する命令系統の不徹底が露になった本件を本気で心配したように報じた機関は皆無であった。これを国難といわずなんと云おう。
この件で安倍首相は、管理人が見る限り内閣の長としての仕事を果たしていなかったように思える。確かに、小池大臣が警察官僚を次期防衛相事務次官に推したのは問題だ。見識を疑わざるを得ない。尤も、これがお飾りであり内局掌握のための布石とも考えられるが。そこから考えるに、小池大臣は今月末の内閣改造でも続投なのだろう。
だが、官僚というものはあくまで、国務大臣の下、国務大臣の指揮下で動くべき人間である。その人間の指示が間違っていても、それが最終決定である限り国民の意思でもあるとするのが民主主義であり、国民に選ばれたわけではない官僚はそれに従わなければならない。それなのに守屋次官は楯突いたのである。大問題だ。楯突いた瞬間に安倍首相はこの次官を、いくら豪腕で有能といわれようと、不適格として首にしなければならなかった。それを怠った、さらには守屋次官の推す後任人事を行った安倍首相はその点で批判されてしかるべきであろう。後任の次官が防衛官僚出身であることは喜ばしいが、この人事を考える限り守屋次官の影響下に置かれる可能性は十分にある。
この二件が立て続けに起こったが、管理人も流石に愛想が尽きてきた。次期に反日媚支・媚朝鮮でないならば今すぐにでも首相を辞めていただきたいぐらいである。


と、安倍首相批判をしたが、報道機関は報道機関として批判されて然るべき報道をいつもの様に行っている。今朝のサンモニに於いては、浅はか過ぎる日本・安倍首相批判が行われていた。
アフガンの韓国人拉致事件に対する韓国政府の「真剣さ」*1を評価する一方、以前イラクで邦人が拉致された際、日本政府はここまで「熱心」ではなかった、と浅井信雄が高説を垂れてた。
また、「風をよむ」というコーナーでは安倍首相が靖国神社に参拝しなかった件を、「選挙結果や周りの意見に安易に流される」という通行人の意見と、同時に「安倍首相の独断専行も許せない」といった主張も流すなど、あほらしさの極みであった。どっちにせよイチャモンをつけようとする浅ましい魂胆、事実は二の次、イチャモンのための材料でしかないとういう姿勢の現れである。そのようなイチャモンであるための、説得力など微塵もない。
少しくらいは自己批判でもしたらどうであろうか。



では今日もいきましょうか

*1:当初、韓国政府は「自分たちは交渉相手ではない」と主張し、我関せずの態度であったのだが、アフガン政府との交渉が進まない中、最近ようやく動き始めた