お盆のNHKを論じる

の盆休み、思いのほかにNHKを見た。しかも高校野球ではない。NHKの特集番組をである。といっても数本をしかも齧った程度、というものなのだが、それでもNHKの反日親支ぶりを堪能できたと云ってよい。以下、管理人が見たNHK番組の概要と批判を連ねる。

12日(日)午後6時10分〜・海外ネット/NHK総合

支那北京五輪特集をやっていた。ついこの間も、北京五輪批判をしたものとして見なければならないと思って、チャンネルを回したが新華社通信でも見ているのかと勘違いしてしまうほどの親支那放送であった。画面の下の部分に、「NHKは北京五輪を応援しています」とでも流し続けるべき内容であった。大気汚染や観客のマナーに関してICOのトップまでもが憂慮を呈す状態にありながら、NHKはその点を指摘しつつも支那共産党政府が対策を講じ、「大丈夫だ」と云っているのだから大丈夫に決まっている』とでも云わんばかりの酷いものであった。
また、「平和の祭典」であるはずのオリンピックに似つかわしくない支那自治区政策や国民への弾圧等を一切批判しない点*1は相変わらずであるし、スポーツということであれば先のU22サッカー日支戦の運営側の非常識なども取り上げてしかるべきであった。
結局は、批判を報じつつもそれに対する支那共産党政府の代弁者に徹した「公共放送」でしかなかった。唯一笑えた点としては、支那共産党政府が毎月11日を「列に並ぶ日」としたことまで報じたところである。NHKにとっては支那様の為に、と思っての行いだったのかもしれないが、誰があの運動の成果を期待しようか。開催まで1年をきったなか、幼稚園のようなことしかしていない支那を、視聴者は嗤うばかりであっただろう。もしかしたら、支那共産党政府からお叱りが着ているかもしれない。この番組のディレクターが更迭されていたら、それは間違いないであろう。

13日(月)午後10時〜・NHKスペシャル「A級戦犯は何を語ったか〜東京裁判・尋問調書より」

東京裁判に関する部分はあまり見ていなかったのでここでの言及は避けるが、番組内で幾度と無く出てきた「南京大屠殺」に関しては云いたいことがたくさんある。
本件に関して、NHKは矛盾や印象操作を恐れることなく、支那側の主張をほぼそのまま流したと云っていい。
例えば、
南京大虐殺は発生当時国際問題となった」といったあとすぐに「東京裁判まで南京大虐殺は問題にされなかった」と云ってみたり、また松井石根陸軍大将への尋問再現VTRでは「南京大屠殺」に関して、
尋問官:「南京に於いて大虐殺があったときくが、把握していたか?」
松井大将:「知らない。私は軍紀を徹底させた」
尋問官:「それは本当か」
松井大将:「一部の不良兵士はいたが、そのような大虐殺は行われていない」
ここで再現VTRは途切れ松井大将の陣中日記とともにナレーションが入る。その中で、松井大将は一部の兵士たちが強姦などの狼藉を働いてることを把握し憂慮していたと解説が入れられるが、何も知らぬ人が聞けば、まるでそれが大虐殺的規模であったかのようなものであった。実際として、どのような軍隊にも一部の不良兵士は存在する。そういった「常識」のない日本で、誤解を率先して与えようと意識されたようなナレーションであった。似たようなことは広田弘毅外務大臣(当時)への尋問のVTRでも行われる。端折って書くと、当時日本外務省には南京へ入城した日本軍の行為への苦情の電報が届いていた(数には言及されなかった)が広田は閣議にかけることはなく、陸軍大臣へ苦言を呈したのみであった、といったものであった。GHQはこれを利用し広田を死刑にしたのであるが、NHKは苦情が来ていたことからも「南京大屠殺」はあったと断じられる、といった風に放送した。広田が閣議にかけなかったのは、苦情の数も少なく取るに足らない内容ばかりであった、と考えるのが管理人は妥当だと思う。そもそも、一国が軍事行動を起こした際、必ず相手国は存在し、その国からの謀略も平時とは比べ物にならないほど増加する。そういった「苦情」の類も宣伝工作の一巻、現地軍の実情を本土で見誤らせるための謀略とも勘案できる。なにせ当時は今とは比べ物にならないほど情報伝達手段は貧弱であった。名も無き人間から来る(おそらく匿名であったであろう)そういった「苦情」をいちいち取り合っていては国務が遂行できるはずがない。こういった視点と解説をNHKは欠いたまま、「南京大屠殺」の証拠の様に報じていた。問題ありというほかない。


15日(水)午後7時30分〜8時45分 10時〜11時・日本の、これから「憲法9条」

はっきり云って、見る価値のないものであった。NHKはこれまでも「日本の、これから」を作っていたがまるで改善が見られない。今回も発言者のカオス然とした様相を晒し番組として非常に見辛いものとなってしまっていた。「市民代表」の方々の発言も、これはテレビ番組ゆえ仕方ないのかもしれないが、投げっぱなし*2になってしまい議論とは云いがたいものであった。また、ゲスト陣も貧弱で、目玉といえるのがこばやしよしのりと斎藤貴男というのは視聴者を自ら遠ざけているとしか云いようがない。もっとまともな論客を揃えるべきであった。
更に云うならば、軍事・安保問題でありながらその手の知識を有しているであろう市民代表が元自衛官のご老人のみ。これでは製作スタッフのこの番組への思い入れのなさを語っているに等しい。
また、市民代表者になぜか紛れ込む支那人パキスタン人。パキスタン人はともかく、支那は直接的に日本と利害が対立する可能性の非常に高い国である。そのような国の民に日本の安全保障の根幹を成す「憲法9条」を語らせるなどもってのほかである。それなのに立ち位置は他の日本国民と同じとはいったいどういうことか。その支那人は例によって支那共産党テンプレを繰り返し、「平和主義 戦争放棄」とボードに書いていた。まずは中南海で云うべき言葉である。
さらに集団的自衛権に関しては、米国に追随するか否か、という視点でしか語られず、とても「日本の、これから」を語っているようには見えなかった。世界に日本と米国しかないのであればこれでいいかもしれないが、日本と米国のほかに、世界には190程度の国が存在する。そういった国を無視して国家100年の大計が考えられようか。と云っても、スタジオ内にそんな空気は微塵もなかったが。左翼側はいつものように後先を考えない「護憲」「憲法死守」であり、右翼側はビジョンのないとりあえずの「改憲」であり「自衛軍保有」であった。例えばであるが、管理人は一つの方策として集団的自衛権を復活させた上で、東南アジア諸国との軍事同盟を構想する。支那の軍事的膨張におびえ、上海協約機構で背後の憂いを断たんとする支那に東南アジア諸国は戦々恐々としている。同じく東アジアの雄である日本が東南アジア諸国と手を携える意味は限りなく大きい。そのためにも集団的自衛権は必要なのだが、そういった議論は一切なかった。また他にも現実として、日本政府は豪政府との軍事的繋がりも強化しつつある。こういった流れからもまた集団的自衛権は語られるべきなのだが、そういった動きは皆無であった。
思考停止状態の討論番組ほど目を背けたくなるものはなかなかない。



以上三番組だけであるが、反日親支を体現していたと云える番組構成であった。




よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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*1:もっともこれはNHKのみならずほぼ全ての報道機関、更には政府に関しても云えることである

*2:発言者自身はもっと反論なりなんなりしたかったであろうが