日は沖縄慰霊の日であった。
例によって盛り上がるのは集団自決に関する問題。軍の強制であったか否かが今年の教科書検定の結果、再び話題となっている。この間の金曜日のNHKのクローズアップ現代や沖縄の地方紙を見ると、なんだか集団自決=軍令というのは「常識」であるらしい。だから、それが覆されるのはおかしいのだという。事実がどちらか、と云う前に、この思考停止そのものが異常であると管理人は思う。それとともに管理人は、韓国の竹島領有及び国際法廷出廷拒否の言い訳である
「自分の妻であることを証明するためにわざわざ裁判所になど行かない。そんなな当たり前・常識で裁判所になど行かないのだ」
を思い出しもした。
どうであれ、反対派を黙らせるのではなく*1説得しようとする姿勢が必要である。

さて、管理人の個人的な見解を述べるのであれば、この問題は他の「戦争責任」の問題と同じく、オールオアナッシングであることにまず異常性を感じる。事例によりけりであろう、という考えはないのだろうか。
そして、また、「軍の強制」「軍令」といった言い方にも違和感を覚える。あれは軍の強制・命令*2というよりも、当時の大日本帝国の空気であり雰囲気であろう。お国の為に命は棄てるもの、といった当時の考え方が集団自決を当然のことのように招いたのだと思う。そして、このことは一つの悲劇であったことも確かだ。住民が捕虜になり情報が流出するのを恐れたため、という説があるが、日本政府は自決云々よりも、捕虜になった際の扱われ方を教育すべきであっただろう。手榴弾を配布するよりもよっぽど安上がりだったはずだ。史実、南方等で捕虜となった日本兵は要らないことまでベラベラと喋ってしまっている。海軍乙事件に件もある。日本軍は情報に関してのそれが甘すぎた。尤も、これは捕虜に捕られることを前提としてしまう場合があり、なかなか当時の風潮には馴染まないやり方であるのも確かである。当たり前ながら、捕虜になることを前提としたような考え方は敗北主義しか招かないため、一部の「平和主義」を騙る「降伏主義者」どものような、自決そのものが悪、といった考え方は成り立たない。
また、『沖縄は本土決戦のための「捨石」』という表現も、これは本土と沖縄の仲たがいを目論む勢力*3の謀略であることは云うまでもない。沖縄の反日*4系団体は戦艦大和の派遣*5すらも実現すれば沖縄の害となった、などという妄想を垂れ流し始めている。曰く、沖縄に存在した米軍の飛行場に対する艦砲射撃は観測機が飛ばせないために沖縄本土に甚大な被害を与えたはずだそうである。*6まったくを以て誤った主張であることはリンク先の記事で書かれている通りである。莫迦らしいとしか云い様がない。戦艦大和一隻で民間人の死者が20万人でるのであれば、我が国は勝っていただろう。なにせ、原爆に等しい破壊力なのだ。
沖縄戦は確かに、本土決戦のための時間稼ぎと云う面があったことは否めない。だが、そのために本土から派遣された数十万の日本軍人もまた犠牲になっているのだ。そういった英霊たちを愚弄するのが「捨石」云々である。沖縄防衛の任に当たった部隊は、きちんと丘を刳り貫き陣を作り、米軍に対して組織的な抵抗を試みた。そういった事実がまるっきり無視されているような気がしてならない。6月23日は軍の組織的な抵抗が終わった日であるのに、である。まるでならず者の日本人たちが大挙して沖縄県民を苦しめるために上陸し好き勝手仕方の様な「騙られ」方は史実に反する。
沖縄戦を語る際に忘れてはならない言葉は、やはり大田実中将の沖縄県民斯ク戦ヘリ」*7ではないだろうか。本土の住民は、そういった沖縄県民の姿勢に感謝すべきだし、沖縄県民は、かの戦争の本土唯一の地上戦を戦った人間として誇るべきである。この関係こそが、本土と沖縄の正しい関係であり、そして政治にも生かされるべきであると思う。基礎は大田中将の打電文にこそある。我々日本人はその原点に立ち返るべきだ。


ではいきましょうか

*1:黙らせるのであれば呆けた主張をして呆気にとらせるだけでも良い

*2:管理人の胡乱な記憶では、そういった類の命令は聞いたことがない

*3:当然、その筆頭は支那である

*4:そして親北朝鮮でもある

*5:天一号作戦

*6:週刊オブイェクト戦艦大和の水上特攻は沖縄人に対する差別の象徴?】より

*7:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%AE%9F