沖縄は微々たる問題でしかない〜真に問題なのは南京と朝鮮、そして皇室だ

 30日発表された高校教科書検定では、南京事件の犠牲者数について「諸説を十分に配慮していない」との検定意見を受けた出版社側が、白表紙本(検定前)になかった「30万人」という中国のプロパガンダ数字を書き加えて合格するケースが2件あった。検定の結果、犠牲者数が増えたのは初めて。ほかにも、慰安婦の「連行」など疑問の残る記述が次々とパスした。(渡辺浩)


南京事件

 日本軍が南京攻略で「大虐殺」を行ったとする海外映画の製作が進む中、誇大な犠牲者数が書き込まれた。文部科学省は昨年に続いて諸説配慮を求める検定意見を付けたが、逆手にとって犠牲者数を増やした教科書があった。

 第一学習社・日本史Aと東京書籍・日本史Aはそれぞれ「極東国際軍事裁判で20万人以上とされ」「十数万人以上」としていたが、検定意見を受けて「4万人前後」「数万」に加えて「中国側は、30万人としている」「中国政府は30万人以上を主張している」と「30万人説」も記述して検定を合格した。

 「4万人説」を主張して教科書にも登場する秦郁彦・元千葉大教授は「できるだけ犠牲者数を多くしたいという執筆者の願望に『諸説配慮』が利用された」と話す。

 不法殺害を「ゼロ」「限りなくゼロに近い」とする“まぼろし派”も多いが、文科省は「日本や東アジアの近現代史の専門家がおらず諸説には含めない」としている。


慰安婦

 政府は今月16日、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」とする答弁書閣議決定しているが、「日本軍兵士の性の相手として…連行された」(実教出版日本史B)、「連行され、耐えがたい苦痛を受けた」(第一学習社・政治経済)といった記述が検定を通過した。

 主語は明記されていないが、「連行」の用語は業者ではなく軍による行為と印象付けている。

 実教出版日本史B昭和天皇を「強姦(ごうかん)と性奴隷制」の罪で裁いた「女性国際戦犯法廷」を取り上げている。


侵略

 日本の行為は豊臣秀吉朝鮮出兵以降「侵略」のオンパレード。山川出版社・世界史Bは、倭寇(わこう)が「朝鮮半島や中国の沿岸を侵略」と書き、国の行為に使う用語を海賊に適用している。

 一方で、ソ連満州などへの侵攻は「進撃」(東京書籍・日本史A)、朝鮮戦争での北朝鮮の韓国侵攻は「急進撃」(実教出版日本史B)、ソ連アフガニスタン侵攻は「軍事介入」(清水書院現代社会)などと、社会主義国に甘い表記となっている。


皇室

 昭和天皇崩御を「死去」とするなど皇室に敬語を使わない表記が目立つ。第一学習社・日本史Aは「明仁皇太子(現天皇)」「正田美智子」と呼び捨て。実教出版日本史B即位の礼大嘗祭(だいじょうさい)を「天皇代替わり儀式」と表記している。


勤評闘争

 実教出版日本史Bは昭和30年代初頭の勤評闘争を記述。「政府は、教員への勤務評定実施などを通じて平和運動をきりくずそうとした」「再軍備に反対する運動を地域で展開していた教職員組合の活動をおさえつけようとした」と断定。

 文科省は検定でこの見解を認めたことになる。

(2007/03/31 09:30)

http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070331/wdi070331000.htm

この記事を読んでゾッとしたものだ。
中共北朝鮮、韓国などのプロパガンダが我が物顔で載っているこの教科書で日本人は育つのである。
一項ずつ見ていこう。

南京大虐殺」に於いては、管理人も完全な幻説はさすがに採らないが、やはり1万人規模の「民間人虐殺」があったかというとそれもまた疑問を提示ざるを得ない。
まず、それをはっきりと示す証拠がない。全て継接ぎだらけの証言である。全体を総括した証言と言うのもない。と管理人は記憶している。東京裁判や南京裁判に於いても30万人は云われていないし、その根拠である死体を埋葬数の資料も、「死体」であるだけで、それが民間人なのか兵士なのか、はたまた合法非合法に関わらず殺された捕虜なのかはっきりとしない。また二重に数えた可能性が高いとも聞く。南京戦に於いて国府軍は総崩れ、まさに全滅の何相応しい負け方をしているためその戦死者数も半端ないであろう。
30万人説には中国社会科学院という中共直属の「シンクタンク」に所属する学者からも懐疑的な発言を受けておりプロパガンダの域を出ない。
管理人のような人間からすれば、「中共が云っている」=「眉唾物」という発想が出来るが一般人はそうではない。中共の各部署がそれぞれに計算した経済成長に関する数字の総和が、中共政府が計算したそれよりも多くなるような国であることを一般人は知らないのだ。白髪三千丈を地で行く国と知っている人もいかほどばかりであろう。
全うな「国家」として日本では思われがちな中共が云っている、となるとある緒のお墨付きが出来たようなもので生徒も信じてしまうのではないか。左偏向の教師もそれを利用することだろう。史実にそぐわない授業をする可能性が途轍もなく高まってしまうであろう危険な記述である。


慰安婦」問題に関しては小欄で何度となく取り上げてきたのでここでは省かせていただくが、「連行」されたものは少数であろう事と、それは須らく業者によるもの(白馬事件の様な特例は除く)であることを明記すべきである。上の記述だと、須らく「連行」されたようにしか読み取れない。
また例の「法廷」に関しても実質的な弁護人がいない、特定の思想に基づいて行われた似非裁判であることを明記すべきである。

侵略に関する項はもう「歴史」を教える気がないとしか思えない。これが一番酷い。
これらの教科書を読めば「侵略」の基準は日本が起こしたものであるということが簡単に分かる。そしてそれは欺瞞に満ちたものである。管理人の記憶に依れば、国際法上「侵略」とは先に攻撃を仕掛けた側を云うのであって、上記の件は倭寇を除き須らく侵略である。しかしながら、秀吉の時代にそういった取り決めどころか考えも存在しないわけで、「侵略」の語を当てるのは歴史教育上非常によろしくない。一言で云えば、誤りである。
それにしても「進撃」「急進撃」「軍事介入」とは、教科書作成側のお里が知れる。いや、「解放」としないだけマシであろうか。

皇室については、これはもう日本人が書いたものではないと信じたいぐらいだ。「日王」などと平気で書き連ねる韓国人が書いたものだと信じたいものだ。
日本語の、特に敬語と云う観点から見てこれは教育のための書ではない、と断じることができる。日本語の崩壊、などというが、これはそれを助長している。
皇太子につく敬称は殿下であり、呼び捨てなど通常はありえない。
天皇崩御に「死去」とあてるのは日本語として完全に間違っている。
即位の礼大嘗祭を「天皇代替わり儀式」とはもう小学生の作文である。教科書執筆者の日本語能力が問われる記述であり、こんな教科書に「執筆者」として名を連ねて恥ずかしくないのかと思える。執筆者はどうどうと、「僕の日本語能力は小学生並みです。敬語もろくに使えません。即位の礼と言う言葉も書けません。大嘗祭も読めません」と云っているのだ。
これで大学教授を騙りその禄を食んでいる人もいるのだから日本もおかしくなったものである。格差社会の影響だろうか

教員の項に関しては、よくは知らないが、勤務をほっぽりだしてデモに行く教員は法律に違反している、とも併記すべきではないだろうか。



きょうはこのへんで。



よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編



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