筒和幸監督への「手紙」〜後編

今日で終わらせるつもりですが、もしかしたら中編になるかもしれません。
引き続き、井筒監督の登場お待ちしております。

さて、井筒監督は支那(監督の寄稿文のなかでは中国と表記)へ日本が侵略したことは譲れない事実(監督は『中国については、僕はよくわからないけれど、』と前おいている)と書かれています。ですが、どの事変・戦争から侵略としているのかがはっきりとしません。ここでは『満州事変から十五年間、日本軍が中国の荒野をめぐって好きなことをした。』と云う記述を元に、満州事変からが侵略であるという前提を元に書かせていただきます。
満州事変は果たして、支那への侵略だったのでしょうか?
答えは否です。満州事変は塘沽協定に於いて解決が見られており、後の支那事変とは直接的なかかわりはありません。また、歴史的に満州支那、つまり中原に陣取る政府の領土ではありませんから支那への侵略とは云いがたいところです。さらに、当時満州にマトモな政府はなく、張学良指揮下の匪賊まがいの重武装警察的存在しかありませんでした。そういったところに治安を快復させる、といった意味も満州事変から満州帝国建国にあったことをお知りください。南満州鉄道という、日本の合法的権益が存在する場に於いて支那人満州人がマトモな政府を立てられないならば日本人が政府をたてても仕方ありません。
さて、ならば支那事変です。
俗に日中戦争と云われる(監督は『日中戦争』をお使いでした)この戦いは完全に支那、つまり蒋介石率いる国民党軍の上海侵略からはじまりました。1920年代に調印された侵略を禁ずる国際条約の違反、ならびに上海停戦協約を破り、非武装地帯に塹壕(所謂ゼークトラインです)をつくり万全を期して日本側に攻め込んだのは国民党軍でした。蒋介石やお雇いのドイツ人参謀らのプランでは一次大戦時に大きな効果を挙げた塹壕戦をもって日本軍の支那派遣部隊を悉く殲滅、戦意をくじいて優位な状況で停戦。日本を大陸から追い出す。という算段でした。しかし、戦いは当初はゼークトラインが機能するも、そこを突破されると国民党軍はほうほうの体で上海を放棄。停戦が成っていないので当然ながら日本軍はこれを追撃。そして南京攻防戦、以下省略、となっていくわけです。
支那事変以下が侵略でないことはお分かりいただけたでしょうか?

また、『教育にしたって、おそらく中国で嘘を教えているわけではない。』とありますが、南京に於いて30万人が虐殺された、や、支那中国共産党が守り抜いた、など史実に反することが多々書かれていると聞きます。

そして、アメリカ批判(この辺になると憲法とか関係ないのでは、と思ってしまいますが全体を通して反米一本の本でありますので仕方ないのでしょう)ですが、全く同じことがお隣の中共南北朝鮮に当てはまる、といいましょうか、当のアメリカ以上にそうである、という点を指摘させてもらいます。
なお、グアムでテロが起こっても自衛隊はグアムには派遣されないと思いますよ。自衛隊が守るよりも米軍が守った方が安心ですから。

そして最後の憲法に関してです。
憲法は理想を語ってナンボ、といった印象の残る書き方をしていますが、憲法というのは本書でも指摘しているように国政の根本であり、現実に忠実でなければならないものです。ですから、『憲法を現実に合わせ』るのが当然なのです。全ての国において憲法とはそういったスタンスで存在します。『アメリカやヨーロッパの良識人たちからもうらやましがられている』といったサヨクの大好きな表現も出てきていますが、ならばいつ、アメリカやヨーロッパは良識人の治める国となるのでしょうか?お隣の南北朝鮮や中共、ロシアは?疑問は尽きません。
そして、根拠もなく改憲後は徴兵制になる、電柱にしがみ付いてでも兵隊に行くな、などというものは、とても『教えたるわ!』と云った人が書くことではないとおもいます。これはただの、貴方の思想であり妄想です。

これくらいでしょうか。
井筒監督が小欄に於いて更なる精進が出来れば、と願っております