沢、柳沢と朝日が五月蝿い。
厳密に云えば、朝日の投書欄が、である。あそこだけ時が止まったようだ。
他にもまぁ、特に左な報道機関などでは批判が集中しているであろうが。
ご存知の様、柳沢大臣は発言の際、
産む機械、いや、機械と云っては失礼だが」
と即座に訂正した。報道機関などが使う、「女性は産む機械」といった表現を使用してはいない。
内容としても、女性は一生で産める子供の数が決まっているのだから、といったものであった。
俺が聞く限りでは決して柳沢大臣が女性を機械視しているようには思えない。

そして、二匹目の泥鰌を狙おうとした民主党千葉景子議員がしょうもない発言をしてしまった。
詳しくは、こうめ氏の「25 o'clock」をご覧になってほしいが、概略を云うと、千葉景子議員が、安倍首相の「子供は国の宝」という発言に対し、「子供は国や社会の為に生まれるわけではない」と猛反発したのだ。だが、なんと、民主党のマニュフェストには「子供は国の宝」とあったのだ。
こんな揚げ足取りをするために国会議員になったのか。この発言が本音ならば民主党と戦うなり、党を離れるなりをするのが筋であろう。
アホらしい揚げ足取りが生んだ笑い話である。

この件にして俺が思うことは一つ。
「産む自由」は確かにある。だが、全ての自由に於いてそうであるのだが、自由には制約や弊害がつき物である、ということだ。子供が生まれなければ、当然ながら年金等は減るだろう。これはいくら政府が上手くやりくりしようと避けられないものである。また、当然のことながら経済は失速する。
日本の人口の理想は3000万人程度という試算もあるようだが、さすがにこの勢いで減ってしまえば、理想もクソもない。構造改革、小泉前首相が云っていた「痛み」など比較にならないであろう。
その痛みに耐える自信と覚悟があるのであれば、「産む自由」を謳歌していただきたい。俺にはそんな自信も覚悟もないから、「産めよ増やせよ」を主張させていただく。
政府が子供を産み育てやすい環境を作るのは当然のこととして、一人ひとりの意識も大切である。子供を産むと言うことは、やはり、所属する社会、要は国への貢献となるのは当たり前である。今のことろ、国無しで生きていける人間は日本にはなかなかいないであろう。

  • 追記

柳沢大臣の発言を大真面目に「本音がこぼれた」と云っている人がいるが、どうしてあそこまで自信を持って「本音」と断言できるか俺には知れない。だれかその判断根拠を教えてはいただけないであろうか



ではいきましょうか。