政治への「庶民感覚」が招く危険

なんとなく前から考えていたことなので書いてみる。
某政党などはよく、「庶民感覚」「庶民の目線で」などといったスローガンを元に選挙を戦う。そういえば、数年前には田中真紀子が「台所感覚」などというキャッチフレーズで選挙を戦っていた。角栄の娘である真紀子に如何なる「台所感覚」があろのか俺は知らないが、少なくとも、俺の母親以下であろう。
「台所感覚」「庶民感覚」などというスローガンを掲げるのであれば、各政党は今すぐ俺の親でも祖父母でもを候補者としてたてるべきだ。みな生粋の庶民である。

もちろん、俺の言いたいことは、俺の両親や祖父母を政界に進出させよう、ということではない。
「庶民感覚」「台所感覚」という子供だましをいい加減に止めろ、ということだ。
そもそも庶民とは、明日の食事を第一に考えるような人々を言うのではないだろうか?言い方が悪いが、国家百年の大計を考えるような視点も視野も持ちえていない。これが庶民ではないか?国会の予算審議を見ても分かるよう、国政と言うのは最低でも1年先を見越して行うものだ。実際、1年などと言う短いスパンではとても国家としてはやっていけない。せめて5年・10年といったところだ。

そういった感覚のない「庶民感覚」を政治に持ち込んだらどうなるか。日本は立ち行かなくなる。
また、「庶民感覚」で国政を語った場合の「好例」が月曜の朝日新聞に載っていた。投書欄「声」のものだが、転載させてもらおう。

災害と戦争を混同しないで
パート 上田めぐみ
(広島県廿日市市 56歳)

投稿「自衛隊の存在 憲法で認めよ」(16日)を読みましたが、自然災害と他国が攻めてくる戦争を、一緒にしてはいけません。
自衛隊が軍ではなく、救助隊として災害時の任務が本来の仕事なら憲法違反ではありません。「災害があるたび、国民は自衛隊にどれだけ助けられたか」とありましたが、これは消防も警察もみな同じです。救助隊なら、海外派遣も大いに結構でしょう。
しかし、憲法戦争放棄をうたっているのです。軍も兵隊も必要ないはずです。「自国の防衛のため」というなら、北朝鮮が核やミサイルを持つのと同じ理論になってしまいます。どこの国も戦争をするときは「自国の防衛」を理由にします。日本の先の大戦しかち、イラク、アフガンしかりです。
本当に自国を防衛するためには外交が大切です。家庭を守るためには、けんかの道具を用意するのではなく、まず隣近所と仲良くすることです。
日本の役割は憲法の示す理想を世界に広めていくこと。それでこそ、美しい国、世界から尊敬を得られる国になるのです。

これは朝日の投書欄にしては珍しく採用された、自衛隊憲法で認めよ、という投稿への「反論」である。
読んでいただければ分かるように、「反論」にすらなっていない。先の投稿は「憲法で認めよ」と主張しているのに、『憲法戦争放棄をうたっている』では話がかみ合っていない。こんなものを反論として載せるなど、朝日の投書欄もよほど投稿が少ないのかと心配になってしまう。
また、阪神淡路大震災時を例に出すまでもなく、大規模災害に於いて自衛隊の力は警察・消防の比にならない。そういったことを踏まえての投稿なのだろうか?
そして、北朝鮮の核・ミサイルと日本の改憲を同一視するなど軍事の知識が皆無であることを露呈している。北の核・ミサイルは明らかに他国を攻撃するためのものであり、国防の域を甚だしく逸している。日本の改憲は、あくまで自衛権自衛軍の保持をうたうだけだ。比較対象にはなりえない。
そして、『どこの国も戦争をするときは「自国の防衛」を理由にします。』と言い、まるで北が戦争を起こした際は大東亜戦争と変わらない、と言いたげだが、その国は守られる価値があるかないかの判断で大きく分けられよう。簡単に言えばである、大日本帝国は守るべき価値があり、北朝鮮には守るべき価値がない。これだけで『自国の防衛』の重みの違いが分かるであろう。

さて、このような主張をする投稿者であるから、「庶民感覚」もものすごい。

本当に自国を防衛するためには外交が大切です。家庭を守るためには、けんかの道具を用意するのではなく、まず隣近所と仲良くすることです。

それは、あなたの隣近所はあなたの家の敷地の一部を自分のものだ、と主張もしないだろうし、子供を誘拐したりもしないだろう。玄関先に金属バットを配備しいつでも襲いかかれるようになどしているはずがない。
だが、日本とその周辺諸国はわけが違う。
平気で拉致をする国があり、領土の一部を、我が国のものだ、と言い張る国があり、領土の一部を不法に占拠し続ける国があり、核弾頭の弾道ミサイルを向けている国があるのである。
あなたの家の周りが、あなたの家の敷地の一部を自分のものだ、と主張し、子供を誘拐する。玄関先に金属バットを配備しいつでも襲いかかれるようにしていて、なおこのようなことを云えるのであれば、拝聴に値するかもしれないが現実は違うであろう。
これが「庶民感覚」の過ちである。「庶民感覚」で政治を語ればこうなるのだ。端的に示されている好例である。

日本が平和憲法を制定して60年。どの国もいっこうに真似をする気配はない。

日本の役割は憲法の示す理想を世界に広めていくこと。それでこそ、美しい国、世界から尊敬を得られる国になるのです。

確かに、「理想」ではあるが寒々しく感じるのみである。60年も夢を見続け、未だに覚められないのであれば、それは非常に危険であるとしか思えない。

「庶民感覚」の危険性と同様に。




よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編


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