南京大虐殺に新たな動き?支那人ブログから発信され始めた、「主犯・韓国兵」説

インサイド中国〜どこまでいくのか、韓国とのけんか    上村 幸治

 中国の人たちの反日感情は05年の反日デモでよく分かりました。その後、新聞の反日記事は減ったようだけど、いまもインターネットの書き込みを通じて、しっかり勉強させてもらってます。
はいはい、日本人は嫌われ者です。ひい爺さんの代の戦争のおかげで、一生肩身の狭い日陰者です。

 というわけで、すねたい気持ち、ぐれたい思いがまだ静まらない今日この頃、中国の新聞社のサイトやブログを読んでいたら、韓国人もけっこう嫌われていることに気づいた。なぜなんだろう。
どちらも日本の被害者だと強調して、反日教育ではその技を競い合ってきたのに
……。

 1月14日、過激発言でおなじみの盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領が、比・セブ島温家宝首相と会談し、高句麗問題を持ち出した。

 昨年9月、フィンランドで会談した時に話したばっかりである。ひょっとすると、高句麗問題は日中間の靖国問題のようになっていくのだろうか。それにしてもですよ。新羅任那高句麗のあの高句麗

 それが中国の地方政権だったのか、朝鮮族の政権だったのか、どうしても白黒つけたいらしい。
何を議論してもけっこうだが、国家元首が海外まで行ってまで何度も取り上げるような話なのだろうか。

 盧武鉉さんはひょっとすると、歴史オタクなのかもしれない。でも、真性の歴史オタク、4000年の歴史オタク中国にケンカを売ると、やけどするじゃないか、とも思う。

 それでなくても、韓国からは「漢字を韓国人の発明として世界遺産に申請すべき」とか「孔子は韓国人」説が流れて、失笑を買ったばかりだ。

 それに実は、中国の方から、実は恐ろしい反撃が始まっている。新年に入って以来、インターネットのサイト、ブログに一斉に「日本軍と共同で南京大虐殺を実施した韓国軍隊」という題の写真グラフ付きの記事が流されているのだ。

 最初の情報元は『科学技術日報』と書いてあるが、実は軍事関係で有名なブログ、「飛揚軍事」が流したという。

 彼らは、日中戦争の時の韓国人の写真を何枚も紹介した上で、「南京大虐殺で、日本の軍令に違反して中国女性への強姦を始めたのは、韓国人の軍隊だった」と書いている。

 中国の人は、当時の韓国が日本に併合されていたことを紹介しつつ、でもベトナム戦争でもひどかったと追い討ちをかける。

 数十万の韓国兵が「家を焼き払い、人を殺し、姦淫略奪をした」「韓国兵の特徴は婦女児童も逃さなかったことだ」と書き、生存者の生々しい話を紹介している。「ベトナムに入った部隊の中で韓国軍の野蛮、凶暴、残酷さはトップだった」とまで書いている。

 この記事に対して書き込まれた意見も、激しい韓国人批判一色。ただし、北朝鮮の兵士には言及していないこともつけ加えておこう。

 さぁ、ここまで書かれて韓国はどう反論するのか。こういう時こそ、ぜひがんばりあって張り合ってほしい。
中国に負けずに、できたらいつまでも、両国で仲良くけんかして、たまには日本のことも忘れてくれたら、もっと喜ばしい。

ソース:サンデー毎日2月4日号 P42 記者がテキスト化

なかなか、皮肉の効いた名文である。
それにしても、中韓の歴史論争はここまで発展していたのか。
しかし、南京大虐殺などと言う話題性に富んだ事例で攻撃されるとは韓国側も思ってもいなかったであろう。そのうちに、「南京大虐殺の主犯は韓国兵」といった趣旨の映画が作られるかもしれない。
しかし、韓国側も安心してほしい。南京大虐殺はまだまだ想像の余地がある。いくらでも付け足してゆけばよい。それだけの自由と寛容さ、許容量を持ったものが「南京大虐殺」だ。日本からすればたまったものではないが。
ちなみに、史実では朝鮮半島での志願兵募集が始まったのは翌年の昭和14年からである。もちろん、朝鮮半島南部、つまり今の韓国がある地域だけで行われたわけではない。朝鮮半島全土で志願兵は募られた。本土に不法渡航なりでやってきていた朝鮮人は徴兵などされるはずないし、合法的な移住者であろうか。それにしたってそう数がいるようには思えない。まったくをもって史実に反する無理な主張である。こんなものがまかり通るのが「南京大虐殺」の「良さ」と云えよう。朝日新聞に載った「南京大虐殺」の被害者の証言には素晴らしいものがある。

平成18年2月26日付け朝日新聞・特集記事『語りつぐ戦争・傷跡』よら抜粋

南京虐殺被害者/陳 広順さん(中国・南京 81歳)

38年2月ごろ、三十数人の日本兵が南京郊外の私の村を包囲した。裏山に逃げ込もうとした3番目の兄は、見つかって撃ち殺された。私は家で芋をふかしていた。
5人の日本兵が入ってきて銃口を向けた。芋と鶏を持って、小学校の広場に連れて行かれた。
逃げ切れずに捕まった二十数人の村人たちが、ひざまずいたまま並べられていた。私は少し離れたところで、鶏を見張っていろと命令され、必死に鶏の足を握っていた。
突然、機関銃がうなりを上げ、縦断が浴びせられた。目の前で、バタバタと重なるように倒れていく村人たち。私は腰を抜かしてしまった。
掃射が終わると、日本兵は倒れた村人たちを1人ずつ銃剣で刺し、死んでいることを確認していた。私も殺されると思ったが、日本兵は私の頭を何回か小突いただけで、
「あっちに行け」というしぐさをした。私は、はうようにして裏山へ逃げ込んだ。
死体は野ざらしにされたままだった。山に隠れていた村人たちは日本兵が去った後、見るも耐え難い死体をようやく埋めてあげることができた。』

大虐殺なのだろう。なぜ殺されなかった?日本兵が優しすぎる。などと云ってはいけない。おそらく、陳広順氏は「南京大虐殺」を語るために生まれ、そして日本兵に生かされたのだ。そこに偶然などはない。全ては必然である。芋も鶏も持っていかれなかった。極悪非道な日本兵なら嬉々として芋を食い、鶏は奪われその日の晩の食事のおかずになっいたはずだ。
自分で書いていて意味が分からなくなったが、大虐殺が事実ならば、こういった取り方しか出来ない。この「処刑」、陳老人が見た記憶が事実なのであれば、解釈の仕方はこれしかないように思う。その村民たちは「抗日烈士」だったのだ。要は便衣兵だったり、非正規戦闘員だったり。そのために処刑されたが、陳老人はそういったことを知らず、また関わっていなかったため処刑を(当然ながら)免れ、村に帰されたというわけだ。日本兵は一般市民と非正規戦闘員の判断基準を持っており、その基準は正しかったということが仮説としてあげることが出来る。
こんなものすら、要は、誰かが日本兵に殺されればそれは「南京大虐殺」になるのだ。幅が広い。韓国人も太刀打ちできよう。
ほら、次は韓国側が歴史をクリエイトする側だ。
支那人の起源は朝鮮半島なのだから朝鮮も被害者だ。
程度は俺でも考えられる。
次の一手が楽しみで仕方ない。
一生、二国間で争っていてほしい。
日本軍最強伝説のテンプレの追加が追いつくだろうか。それだけが心配である。何年後かの中共の教科書も大きく塗り変わっているかもしれない。



そういえば、思い出したが、当時支那には「大韓民国臨時政府」なるものがあった。この亡命政府、韓国が「戦勝国」を名乗る際の論拠なのだが、もしかしたらこれを指しているのかもしれない。韓国人の誇りである、韓国光復軍を馬鹿にしたら韓国人の報復が恐ろしくて仕方ないが、さすがは支那人。腹が据わっている。
あと、いくらベトナムで韓国軍が悪逆無道、韓国風に言えば、人面獣心*1なことをしていたとしても、それ以上に酷い中共人民解放軍を有する支那人に云われたくはないはずだ。

そろそろアホらしくなったので筆を置こう


よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編


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*1:韓国の新聞では、特に酷い強姦犯にこの修飾語がつく