社民党議員・阿部知子よ、自分の党の輝かしき歴史ぐらい知っておけ〜阪神淡路大震災で自衛隊は国民を守らなかったと非難。

毎年、藤沢市・寒川町の消防出初め式に呼んでいただいており、今年はご挨拶もさせていただいた。
 もともと小児科医であった私には救急車と救急隊員の皆さんとはかつて一緒に仕事をした間柄である。とりわけまだ若かった30歳代前半は毎日のように患者さんの検査や転院に付き添って救急車に乗っていた。また夜間当直では、次々と搬入されてくる患者さんに付き添う救急隊員からあれこれ情報を得ることが多かった。救急隊員は皆誠実で、どんな時にも一生懸命に患者さんのためにやってくれている。その姿は頼もしくもあり、国民の生命を守ってくれていることを実感してきた。
 「消防」という仕事は、赤い消防車に象徴される「防火」の分野と、火災以外のあらゆる災害からも国民を守る防災、そして白い救急車に象徴される「救急救命」の分野と多岐にわたる。1947年に制定された消防組織法にうたわれる如く、国民の生命・身体・財産を守る役割を担うのが「消防」であり、その責任は各市町村の首長にある。もちろん県や国もそれぞれにその市町村の仕事を支援する立場にあるが、決して指揮・命令系統ではなく、治安などの警察権限とも独立している。
 文字通り、国民の生命・身体・財産を守ることが地方自治に委ねられていることの意味は大変大きく深いと思う。そのための人材は、消防職員以外に各地区の有志の消防団員や防災ボランティアがこれを担うことからもわかるように、根っからの住民参加の組織である。
 安倍晋三政権になってから「国を愛する」・国防の強化などの言葉が氾濫し、あたかも外敵から国民を守るために国家の力=軍隊が必要であるかのように宣伝されるが、実は「軍隊は国民を守らない」という事実は戦争を通して如実に示されてきた。軍隊はもちろんのこと警察も、戦闘のためあるいは犯罪に対しての対処を第一とするため、国民保護は二の次、三の次となる。
 阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。

 こうした経緯もあってか最近は「自衛隊による国民保護」が強調されている。しかし、安倍首相の下で海外派遣を本来任務とするような防衛庁の省昇格が行われ、「軍事組織化」が進む中では、本当の意味での国民保護からますます縁遠くなるのではないか。
 それ故、住民・国民を守るためには、

第1は、まず国の役割としての平和外交、すなわちこれからも平和国家として歩むことを世界に意思として示すこと(戦争を引き起こさない)―憲法9条堅持

第2に、環境破壊の進む今日、津波地震などの予期せぬ大災害に対しても自治体主導のしっかりした防災の取り組み(その足らざる部分を県や国が支援)とネットワーク体制の確立。

第3に、人間関係が疎遠となる中で、地域での共生力を取り戻すこと

 につきると思う。
 次々と目の前を通り過ぎていく真っ赤な消防車、そして最新の救命装置を備えた白塗りの救急車の登場を子ども達とともに待ち受けながら、今年一年の市民の息災と安心・安全をしっかり守る消防隊の活動に心からの期待を寄せたい。

社民党は、党員に党史も教育しないのか。それが証明されてしまった記事である。
と言うか、これくらい常識として知っておけよ、といいたくなる。
阪神淡路大震災時、総理大臣は彼の有名な村山氏であった。
氏が自衛隊の派遣を渋ったことは今でも語り草、というか反社民のテンプレ的なものになっている。

社民は、その社会党の分裂後、旧社会党左派が寄り集まって出来た、純度の高い左派政党である。社会党の歴史ぐらい教えておけと言うものだ。しかも、阪神淡路大震災時の不手際はあったものの、政権奪取・村山談話など、左派にとっては最も輝いていた時代である。あの時をもう一度、などといった考え方でもいい。教えておけ。

そうしなければ、このような恥ずかしい記事が再び出てくることになる。福島みずほさんよ、後輩の教育もきちんとできないのに、教育がなんやらと語る資格はないのではないか?自身もそのように政府を攻撃している手前。
村山富市氏も、まだ社民党の議員として議席をもってるのだから、きちんと話しておきなさいよ。

自衛隊憎し、が生んだ珍奇な記事である。社民党の恥としてきちんと反省しておきなさいよ。

あと、この恥ずかしい無知も教育しておいて。

実は「軍隊は国民を守らない」という事実は戦争を通して如実に示されてきた。軍隊はもちろんのこと警察も、戦闘のためあるいは犯罪に対しての対処を第一とするため、国民保護は二の次、三の次となる。

軍が戦闘しなきゃ、誰が戦闘するのだろうか?市民?フランス革命を引き摺りすぎだ。
しかも、警察が『犯罪に対しての対処を第一とする』とするのは当たり前だろう。それが警察の仕事なのだから。誰が取り締まるのか?やっぱり「市民」なの?荷が重過ぎるって。
国民保護もそりゃすると思いますよ。警察の仕事ですが。軍はあんまりそういったことを目的としてつくられておりませんから。
軍の仕事は、自国に一歩でも敵軍を踏み入れさせないことです。また、一歩でも自国の中に浸透させないことです。そしてそれが国民保護に繋がるんですがね。大東亜戦争時、最後まで本土で戦闘が起こらなかったのは、誰のおかげだと思ってるんでしょうか?南方で、北方で、島嶼で、大陸で、祖国の防衛を、家族の安寧を胸に散った兵士たちのおかげなんですが、それがお分かりにならないんでしょうか?日本人として恥ずかしくないんだろうか。
無血開城がベストである、と考えるこの人たちには説いても馬の耳な論理なんでしょうが。

第1は、まず国の役割としての平和外交、すなわちこれからも平和国家として歩むことを世界に意思として示すこと(戦争を引き起こさない)―憲法9条堅持

そしてやっぱり出てくる、「世界は皆良い人」理論。今俺が命名しました。
引き起こさない、って。戦争に巻き込まれる、引き起こされる、って視点は欠如ですか。死ぬまで持ちませんか。はい。
「一国平和憲法」の下、60年。日本はその間に、ソ連にミサイルを向けられ、領空を侵犯され、北方領土は還ってこず、中共にミサイルを向けられ、領空を、了解を侵犯され、尖閣は脅かされ、国旗は焼かれ、北朝鮮にもミサイルを向けられ、撃たれ、国民を拉致され、領海を侵犯され、不審船に脅かされ、テロの脅威に晒され、韓国には竹島(阿部知子風に言えば、独島)は奪われ、漁師は射殺され、国旗は焼かれてきました。
書き出してみたらなかなかにハードは60年ですね。
こうしてりゃこれからも平和だそうですよ。上記の60年を「平和」だと仮定すればの話ですが。阿部知子女史に言わせれば「平和」らしいです。とんでもない幸せな方ですね。70年代の東欧でも平気な顔をして生きていけるはずです。



二日あけただけなのに、以上におかしなものになっちまいました(汗。



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鬱々日記〜特定アジア3面記事編


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