友人をベッドに縛り付けて握手を求めるのを「友好」とは云わない〜中韓朝が云っているのはまさにこういったことである

2006年11月03日21時06分
 憲法公布60年を迎えた3日、憲法改正の動きに反対する市民集会が東京・神宮前であった。「とめよう戦争をする国づくり」を合言葉に、平和活動を続けるNGOや護憲団体、労働組合などが企画。高齢者から若者まで約360人が参加し、原宿や表参道をデモ行進した。

 集会では、韓国から招かれた市民団体「アジアの平和と歴史教育連帯」の姜恵●(カン・ヘジョン)さんが、教育基本法憲法の改正の動きに触れて「戦後民主主義が根本から揺らいでいる」と指摘。憲法9条について「軍事大国化の歯止めとして、過去に植民地支配されたアジア諸国にとっては『安定剤』となっている」と歴史的な意義を改めて強調した。

※●は「きへん」に「貞」


こんな記事がありましたので。
俺の云いたいことはタイトルのとおりです。
つまるところ、この韓国人「市民」活動家は、
「日本は憲法9条で縛っておかなければすぐに戦争を始める」
と本音かどうかはともかく、対外的にはそう云いたいのでしょう。
そしてこの考え方は、中韓朝に限らず、日本のサヨクどもも持っているものです。日本のそれに関しては後述しますが。

この、「考え方」を対人関係に当てはめれば、まさにタイトルどおりとなると思います。
「友人」を暴力大好きの気狂いが如く扱い、そして、いつ暴れだすかわからないからと常にベッドに拘束器具で固定し緩みかければすぐにきつく締めようとする。そしてもう片方の手でわざとらしく、「友好」を口にし握手をもとめる。
これが中韓朝のやっていることであり、普通に考えて、一般社会でこのような人とは仲良く出来ないよう、日本も国際社会において中韓朝とは仲良くなどできないのです。

「日本は『侵略戦争』をしたから仕方ないんだ」
などと云う人もいるでしょう。そしてこれを云う人の中に日本人は多数います。
俺はその人たちに聞きたいのです。
「あなた方は中韓朝に攻め入りたいのか?」
と。そうでない、やましいことなどなければ、なぜ、自らを拘束しようとし続けるのか。
俺には不思議でなりません。

そして、次は「そんな日本人」に関してです。