ネタ違い?さすがに黙っていられない。〜福岡筑前町での中学生イジメ自殺事件、加害少年ら棺を開けて自殺少年を嘲笑

福岡県筑前町の中学二年男子生徒(13)による自殺事件で、同級生の一部のグループが、一年前からたびたび、「死ね」「うそつき」などと生徒をののしっていたほか、自殺後も学校で「せいせいした」などと口にしていたことが二十一日、複数の関係者の証言で分かった。生徒を自殺に追い込んだいじめ行為の根深さを物語る証言で、福岡県警もこの情報を把握しており、近く同級生らから事情を聴くことにしている。

 証言によると、いじめは主に特定のグループによって繰り返されていた。その中の一人は一年前から被害生徒を「死ね」「うそつき」などと罵倒(ばとう)。「近寄らんめえよ(近寄らないがいいよ)」と、周囲に無視を呼び掛けることもあったという。生徒が自殺した十一日には、別のメンバーが教室で生徒の机をたたき、「消えろ」と大声でののしった。

 また、自殺後も「せいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」「おれ、のろわれるかもしれん」などと校内で友人に話したほか、十三日の通夜の席では、笑いながらひつぎの中を何度ものぞき込む姿も目撃されている。

 メンバーたちは二十一日までに、入れ替わり生徒宅を訪れ遺族に謝罪。その際、これらの行為の一部を認め「(自分も同じ立場だったら)死にたくなる」などと答えた。さらに被害生徒が一年生の時、いじめを誘発する発言をしたとされる男性担任教諭(47)の言動を見て「先生と一緒になってからかったりしてました」と、教諭の影響があったことも口にしたという。


日本という国は、元来、良心により動いてきた国です。
ですから、このような事件に接し、普通の人ならどう思うか?

加害少年、その両親やイジメを煽動したとされる教師の実名公表をし、社会的制裁を加えるべきだ。

と考えるのではないでしょうか?
なんでもかんでも、特に思想面に関し欧米の舶来物をよしとする風潮によって制定された少年法に、加害少年らは守られ、実名すら公表されない状態です。
イジメによって被害少年は死を選びました。ならば、加害少年らは、イジメという手段を持って被害少年を殺したとするのが普通の考え方ではないでしょうか?
それなのに、現実は前述のとおり、少年らはまったく制裁を受けません。
少年法の基本的な考えは、子供たちは更正することが可能だと言う前向きな考え方((しかし、俺から見れば被害者をないがしろにした考え方です。もっとも、これは刑法全体に云えることだと俺は考えていますが。))に基づいています。しかし、果たしてこのような、棺を開け被害少年を嘲笑する少年らが、果たして更生するでしょうか?しかも、なんの社会的制裁もなしにです。
彼らの周囲では、誰がイジメをしてたか分かるから制裁を受ける、と言う考え方もあるかもしれません。しかし、特に学校などでのイジメの場合、皆加害者であると考えるのが普通であろうし、傍観者こそ加害意識を強めるものです。かれらは、イジメによりクラスの中心、ボス猿として君臨していたと思われます。そのようなボス猿に対し、クラス内で制裁など不可能です。
この、「殺人」という行為は加害少年らに一生付きまとわなければならないことです。江戸時代であれば、額に入墨などが妥当だったでしょう。当然、高校入試から始まる、履歴書による審査でも「差別」されなくてはならないし、社会に出ても、イジメによって人を殺した人間だと後ろ指を刺されて生きていくことこそが加害少年らに相応しい人生です。
その第一歩が、加害少年らとその両親の実名公表です。
本音を云えば、彼ら加害少年らを生かしておく理由はありません。自らがイジメによって殺した人間に棺を暴き嘲笑するなど普通の人間には出来ることではないからです。よほどの恨みつらみがあるなどなら理解できますが、彼らは一貫して加害者であり続けたのです。そして、この行為で、彼らに加害意識がないことがはっきりとしました。加害意識がないのですから、更正など不可能であることは万人の目に明らかでしょう。そして、更正の可能性がない、つまり生きていてもろくな人間になる可能性がないならば、生かしておいても百害あって一利なし。。。これ以上は云わないで於こうかと思います。
ですが、せめて、実名公表だけは、これだけは譲れません。
「人権」の暴走はこれも当てはまると俺は思うのです。実名公表など民度が低い、野蛮だ、などと云う人がいるかもしれません。ですが、舶来物を額面どおり受け入れ、そこで思考停止するような国民、人間こそ野蛮で民度が低いと俺は考えます。