【未来をつくる歴史】其参〜抗日戦争(?)

  • 東南アジアの抗日運動

164〜165ページ
日本軍は、東南アジアの占領地で軍政をしいて直轄支配を行ないました。各地で戦争に必要な食糧や石油などの資源を奪い、飛行場や鉄道建設のために現地の人々を労働力として徴発しました。インドネシアでは、約400万人が「ロームシャ(労務者)」として、食事も充分に与えられない厳しい状況下で過酷な労働を強制されました。(この「ロームシャ」は、今日、インドネシア語になっています)。さらに民族旗や民族歌を禁止して、日の丸と君が代を強制し、新しく神社を建ててそこへの参拝を強要するなど、皇民化政策をおしすすめました。
東南アジアの人々にとって、日々の生活や財産、文化から言葉までも奪う日本軍の統治は、それまで自分たちを支配してきた欧米列強に代わる新たな侵略にほかなりませんでした。
(中略)
また、日本の中国侵略に対して、同じ民族として強い反感を持っていたシンガポールやマレーの華僑(外国に住む中国人)たちは、日本軍に対する財産の提供を拒むとともに、義勇兵となって立ち上がりました。こうした人々を、日本軍は容赦なく弾圧し、虐殺しました。しかしそれは、東南アジアの抗日運動をさらに高揚させていくことになりました。

東南アジアに関しては以前書いたことがありますので、小欄のこちらを参考にしてください。

俺の記憶から一例を挙げれば、日本語がそのまま現地の言葉になったのは「ロームシャ」だけではないですよ。「ガッコウ」とかもそうなんじゃなかったですかね。ま、詳しくは、上のリンクを読んで頂きたいですが。

あと、昨日も書きましたが、

また、日本の中国侵略に対して、同じ民族として強い反感を持っていたシンガポールやマレーの華僑(外国に住む中国人)たちは、日本軍に対する財産の提供を拒むとともに、義勇兵となって立ち上がりました。

は、ただの非正規戦闘員であり、国際法違反の存在であります。義勇兵などと美化していますが実態はそのようなものです。ですから、

こうした人々を、日本軍は容赦なく弾圧し、虐殺しました。

はなんら誤りではなく、国際法上認められたことでした。今でも合法行為です。ですから、この教科書もどきの執筆陣は、「弾圧」や「虐殺」などといった単語を使用し皇軍の残虐性・不法性を際立たせようとしていますが、これは事実と反します。
また、そもそも、虐殺は

[名](スル)むごたらしい方法で殺すこと。「捕虜を―する」*1

であり、当然、皇軍が全ての華僑系非正規戦闘員を『むごたらしい方法で殺』した事実などありませんから、単語の意味から間違っております。
また、和英辞典では「虐殺」は以下のように当てられ、その不適切性はより際立ちます。

slaughter; 〔大量の〕a massacre, carnage, a holocaust; 〔ある人種・民族などを絶滅させる〕genocide*2

渡部昇一氏・谷沢永一氏の共著、【こんな歴史に誰がした】*3
内で、渡部氏は、既存の中学校用歴史教科書の記述に対して、
「執筆者の机の上には広辞苑もないのか」
と皮肉っておりますが、まさにその通りなのです。ちなみに、国際法といった概念もないのでしょう。


163ページ
大韓民国臨時政府は1941年12月に正式に日本に宣戦布告をし、韓国光復軍武装を強化しました。ビルマ(現ミャンマー)戦線に韓国光復軍を派遣し、アメリカ軍とともに朝鮮内へ進軍するための特殊訓練をすることにしました。朝鮮独立軍は、中国の八路軍とともに胡家荘の戦いなど大小の抗日戦争に参加ししました。建国同盟も、実現はしませんでしたが、労農軍と遊撃隊を組織して軍事行動計画を立てました。
(中略)
1945年、朝鮮の独立は連合国の勝利で得たものだともいえます。それは、多くの困難のなかで、団結してねばり強い運動を展開しなければ、決して成し遂げることはできなかったでしょう。

詳しくは、
【韓国・北朝鮮の嘘を見破る―近現代史の争点30】*4
で書かれていますが、一つ突っ込むとすれば、

大韓民国(臨時政府)は戦勝国・連合国に名を連ねていない

ということでしょう。
つまり、この教科書で『正式に日本に宣戦布告しました』とありますが、世界中のどこの国も(当然、日本も)この「宣戦布告」を取り合っていないのです。
もう一つ、大韓民国臨時政府が、「政府」としてすら認められていなかったエピソードを書きましょう。それは、

戦後、朝鮮半島を国連の委任統治にする案があった

というものです。大韓民国臨時政府朝鮮半島の正当な政府と見られていれば、このような案は出るはずもなく、また、分断統治ということにもならなかったでしょう。云ってみれば、現状がそのまま、大韓民国臨時政府の無力さ、歴史への関与のなさを物語っているのです。それなのに、このような、まるで大韓民国臨時政府など朝鮮人が自らの手で独立を勝ち取ったという記述は誤りです。

1945年、朝鮮の独立は連合国の勝利で得たものだともいえます。それは、多くの困難のなかで、団結してねばり強い運動を展開しなければ、決して成し遂げることはできなかったでしょう。

も、
『1945年、朝鮮の独立は連合国の勝利で得たものだといえます。それは、多くの困難のなかで、団結してねばり強い運動を展開しなければ「連合国の対日戦争勝利がなければ」、決して成し遂げることはできなかったでしょう。』
に書き換えるべきでしょう。



よければこちらにも足を運んでください
鬱々日記〜特定アジア3面記事編


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