どこへゆくのか。げにも恐ろしき昭和天皇戦争責任論

たびたび言うが、我が家の購読紙は朝日新聞と地方紙である。そして、毎日目を通すと決めているところが社説と読者投稿欄「声」(以下「声」)だ。今日は「声」について少し書いてみようかと思う。


俺の認識として、このような投稿欄は新聞社のもう一つの社説だと思っている。朝日の手法として「識者」に自社の意見を代弁させ、責任は回避するというものが指摘されているが、「声」も似たようなものだろう。選別を朝日がする点から、より生の朝日の意見であるとも言える。
が、ここで問いたいのはこのような朝日の姿勢でもなければ、朝日の偏向的と言える選別でもない。前者は朝日に限ったことではないだろうし、後者への指摘は今更だ。だが、一つ言いたいこととしては、これだけ反小泉サヨク的な投稿があるのに、怨嗟に満ちた投稿が毎日載るのに、なぜ小泉内閣は倒閣とならず、民主は政権を奪取出来ず、社民や共産は後退し続けるのかというものである。それだけ、世論や世相からかけ離れた選別方法をとっているのだろう、としか思いようがない。

では何を問うのか。純粋に採用された投稿の内容について。特に最近目立ってきた、昭和天皇への戦争責任追求について問うてみたいと思う。
靖国参拝が取り沙汰されてから、たまに見掛けるようになったとは思っていたが、この間の昭和天皇A級戦犯不快感報道(決して、靖国神社に不快感を示したわけではない。詳しくは平成18年7月21日拙稿【反日勢力の迷走】参照)から増えてきたと言える。そして2日ほど連続して天皇陛下の戦争責任を問う投稿が掲載された先日、ついに、昭和天皇を「彼」呼ばわりする不遜極まりなく、また知識も怪しい投稿すら採用されるに至った。さすがにこれは看過ならぬと思い、ケータイのキーを叩いているわけである。

この投稿に限らず、昭和天皇責任論を俯瞰してみると、当然ながら法的責任は問えないことくらいは理解しているようである。ただ、漠然と昭和天皇に責任を押しつけているようにしか見えない。大日本帝国憲法に依るならば、全責任は内閣が負うとされており(大日本帝国憲法第55条①)、また、天皇陛下も好き勝手に政治が出来るわけではなかった(同憲法第4・8・9・37・55②・73条など)。つまり、完全な立憲君主制であり、天皇陛下といえども憲法に異を唱えることは出来ず、法をねじ曲げることも不可能だったのである。

御前会議があったではないか。という人間がいるかもしれない。だが、慣例として歴代天皇陛下は御前会議に異を唱えることを控えていた。それが、立憲君主制だからである。帝国議会終戦後もあったのだ。議会から上ってきたものを否定するのは天皇の名においても罷りならない、というわけである。だがしかし、昭和天皇は一度だけ異を唱えられたことがある。日米開戦へと進むなか、近衛内閣が倒れ東城英機に組閣の大命が下った際、これまでの決定(開戦への道程)を白紙撤回し再び日米交渉をやり直すよう支持されたのだ。その際、明治天皇が日露開戦に際して詠まれた、「四方の海〜」という句を静かに諳じられたという。
また、開戦の詔にもあるように昭和天皇は日米開戦を望まれていなかった。もし、天皇陛下に大権があれば開戦を阻止したかもしれない。だがそれは、憲法も慣例も時代の流れも民主主義も許さなかったのである。

さて、これだけの拙い歴史知識だけを知るだけで昭和天皇に法的責任は当然のこと、道義的責任もないことがお分りいただけるであろう。
また、有名なエピソードとして、敗戦後、マッカーサーと面会し、「全ての責任は私にある」とする旨の発言をしたことや皇室財産の一部である有価証券全てを持ち出し国民への配給の足しにしてくれといったものがあるが、これを知ってもまだ昭和天皇に責任を求めるというのか。さらに、昭和天皇は退位さえ考慮に入れていたと言う。ここまで知っても責任を求めるというならば、俺はその人の感性を疑わずにはいられない。そして、きっと日本人とはかけ離れた大陸的な思考の持ち主なのだろう、と断じてしまうのだ。

また、そもそもの話、「責任」とは果たすものである。俺は、昭和天皇は敗戦の責を果たされたと考えているのだが、どうも「責任論」をブつ人は足りないと感じているようだ。だが、すでに崩御なされている昭和天皇にどうしろというのか。バウネットのように欠席裁判を開き有罪判決を下し悦に入りたいのか。その辺はわからないが、わからない理由は、「民族性」の違いのように感じる。屍に鞭を打つといった表現がぴったりなこの主張はやはり、上記と同じで大陸的なのである。

天皇自身の戦争責任を忘れ去るのはまだ早い。人間の道義に時効はない

(平成18年7月28日「声」より)
やはり、一生他人を責め続け責任を擦り付け屍に鞭打つといった大陸的な醜い思考が根底にあるように思えてならない。きっとなにがあっても許せないのであろう。国民も熱狂のなかにおり、また、それ以外に道がなかったことも忘れ。
また、根本的に史実に誤認がある点からしても、救いようがない。
せめて俺に出来ることは、この投稿者が中帰連の人間であることを祈るばかりだ。(投稿者は92歳男性である)