最近見た映画〜善き人のためのソナタ

ちろん、冬のソナタではない。古すぎるネタではあるが。だが、ついこの間パチンコ(朝鮮玉入れ?)メーカーのkyorakuが「冬のソナタ2008」なる筐体のCMを見た。聞くところによれば、BSデジタルではTBS系がまだ冬のソナタを放映しているらしい。巷ではすっかり聞かなくなったが、コアなファンがいるのか、はたまた局が過去の幻影にすがり付いているのかの何れかなのであろう。

本作は冬のソナタとは一線を画すものであると管理人は疑わない。
粗筋を簡単に書こう。最後まで書くので、ネタバレに注意して欲しい。
ベルリンの壁が未だ存在し、ドイツが東西に分かれていた頃の話。東ドイツ社会主義体制をとり、例に漏れず国民監視のシステムを完成させていた。その中核をなす秘密警察「シュタージ」のヴィースラー大尉は劇作家のドライマンとその恋人で同棲相手の女優クリスタの監視・盗聴を命じられる。この監視は、シュタージ文化部長であるグルビッツの下心が伴なうものでもあったが、劇作家にいたるまでの表現者らは皆、国策的な作品しか作ることが許されず、反政府・反体制的なものを作れば、表現者としての生命は絶たれるという点も大いに関係する。この理由で創作活動を行う権利を失ったのがドライマンの友人で演出家のイェルスカである。権利を失ったのちもドライマンとの友好関係は続き、ドライマンの誕生日パーティにも出席する。ある日、イェルスカは「この曲を本気で聴いた者は、悪人にはなれない」との言葉とともに「善き人のためのソナタ」の楽譜をドライマンに渡す。ドライマンはこの曲を演奏し、ヴィースラーは盗聴を続ける中この曲耳にし涙する。だが、そのイェルスカは創作活動が行えない無力感と、それを禁じる祖国への絶望から自殺を遂げる。この自殺に触発されたドライマンは、かねてから反政府的な過激な言動をとる友人らとともに、西側諸国へ東ドイツの現状を告発することを決意する。
監視を続けながら、ヴィースターの心は少しずつ変化し始めていた。彼らの反政府的な行動を見逃したり、文化部長グルビッツに創作権利をたてに交際を迫られるクリスタに一ファンを装い助言を与えるなど、彼らに対する理解と傾倒を深めていく。
ヴィースターの「協力」のお蔭で、ドライマンらは東ドイツにおける自殺者の現状を西側諸国へ告発することに成功する。もちろん匿名であったが、シュタージはドライマンらの「犯行」と確信し証拠探しを始める。その中、監視を命じられていたヴィースターにも嫌疑はかかり、組織と祖国への忠誠を試される形で、クリスタへの尋問を命じられる。だが、ヴィースターはすでにかわっていた。映画冒頭で数日間にわたる尋問を強要することで自白を得られると大学で講義し、「非人道的」と批判する学生に落第点を与えていたヴィースターは自身の仕事に疑問を抱いていた。精神的に疲労していたクリスタは容易に口を割り、ドライマンらの犯行であると断定できる証拠(それは東ドイツでは所有登録のなされていないタイプライターであった)の隠し場所を聞き出す。当然、ヴィースターは監視の中でその事実を知っていたのだが、この尋問で初めて知ったかのように装い、そしてシュタージが踏み込む前にドライマンの家へと駆け戻り証拠を隠滅する。シュタージはクリスタから聞き出した隠し場所を探すも証拠となるタイプライターは見当たらない。ヴィースターに一杯食わされたことを確信するシュタージであるが、クリスタは証拠が露見したものと考え、ドライマンに合わせる顔もなく家から飛び出す。飛び出した先の道路で、クリスタはトラックに轢かれ絶命する。
ドライマンらを庇ったヴィースターは、地下での葉書の検閲の仕事に左遷させられる。数年後、冷戦は終結ベルリンの壁は崩壊、ソ連は崩壊しドイツは東西統一を果たす。シュタージそのものがなくなり、ヴィースターは広告配りの様な仕事につく。そこにかつての秘密警察のエリートの面影はなかった。
一方のドライマンはグルビッツと再会し、自身が監視されていたことを知らされる。そして旧東ドイツ時代のシュタージに関する自身の監視記録を閲覧する中、自身の行動を見逃し続けた人物、ヴィースターの存在を知る。これに触発されたドライマンは一冊の本を書きはじめる。数年後、その本は完成し、書店へと並ぶこととなる。旧東ドイツ時代、その名を世界に馳せていたドライマンが長きに渡る沈黙を破っての作品ということで書店には大きなポスターが貼られる。それを見たヴィースターはかつての監視対象だったからであろう、足を止め書店へと入りその本を手に取る。本を開きその冒頭、そこには当時の自分の暗号名(ドライマンは当然、それがヴィースターであることを知らない)への感謝の言葉が綴られていた。表紙を見返し、タイトルを確認するヴィースター。タイトルは「善き人のためのソナタ」。レジへと「善き人のためのソナタ」を持ってゆき、店員に「プレゼント用ですか?」と聞かれたヴィースターは「これは私用です」と答える。その顔には、素晴らしい笑顔が浮かんでいた。

もちろん、最後のシーンのせりふである「これは私用です」には二つの意味がこめられている。表向きの意味と、ドライマンがヴィースターのために書いた本であるという裏の意味である。
ヴィースターという一度人間性を失い、そして取り戻した男の救いの物語である本作を管理人はえらくお気に入りである。特に最後のシーンは目頭が熱くなった。粗筋では触れなかったが、ヴィースターが人間愛に飢えていることも作中では描かれ、そういったシーンがさらに最後のシーンを彩る。
地味といえば地味な映画であるが、きっと見た人みなを満足させるものであると管理人は確信する。日本もこのような上質な映画を作るべきだと愚痴を垂れても仕方がないが、管理人は希望してやまない。

そういえば今日はクリスマスである。もう一本、一次大戦のクリスマスにおける同盟・協商両側の部隊の交流を描いた「戦場のアリア」をともに薦めて本稿を終わりにしたい。


では今日もいきましょうか