これこそ歪曲教科書。【未来をひらく歴史】

gunnsenngoku2006-10-07

なんと第二版がでておりました。第一版を凄まじい電波具合に辟易しながら読んだ憶えはありますし、小欄でも触れたことがあると思います。それに懲りず、過去に学ばず(笑)また手を出してみるつもりです。
とりあえず、ページをめくると、巻頭グラビアに「写真でたどる3国の近現代史」と題されて2枚の世界地図が掲載されております。俺の記憶が正しければ、第一版とかわりないのですが、提示されている「坤輿万国全図」の説明に

地図の中央部には中国が描かれている。

とあるんですね。ですがこの地図、どうみたって中心は太平洋。どちらかといえば日本のほうがまだ中心なんです。こりゃいったいどういうことだろうと邪推いたしますと、まぁ、中共支那におべっかを使ってるんだなぁと。もう一枚、朝鮮で作られた「天下図」が載ってるんですが、確かにこれは

中国が真ん中に描かれ強調されている。

という説明どおり、真ん中に大きく「中國」とあるんですね。中華思想のもと支那帝国(当時は清)の属国であった証明のようなものなのに、本文中では

朝貢関係とはいっても、中国は他の国の内政と外交に干渉しませんでした。*1

とまるで朝鮮が朝貢のみの独立国であったかのように書きます。李氏朝鮮の悲惨な朝貢状況は以前紹介したとおりです。また、年号どころか国号まで支那帝国から与えてもらうのが実態でしたし、日本の維新政府が維新まもなく李氏朝鮮に開国をすすめる親書を送るのですが、明治天皇の御名玉璽が入っていたものですから、揉めまして清帝国にはからねばならないなどと突き返したということもありました。*2あまりにも有名な例ですと、大清属国旗が挙げられましょうか。
こういった史実を無視し、かのように書くことは歪曲と思いますがね。
ま、冒頭からこれですから内容も推してはかるべくです。巻頭グラビアの④ページ、大東亜会議の際の写真には

各地に日本に従う傀儡政権をつくり、

などと侮辱的な説明を入れております。参加国には、当時東南アジア唯一の独立国であり、戦前戦中戦後独立国であり続けたタイ王国の首相代理ワンワイタヤコン王子や自由インド仮政府首班スバス・チャンドラ・ボース氏も名を連ねています。また、他の政府に関しても必ずしも傀儡政権とは云えないような気がします。結局は敗戦とともになくなりましたし、日本敗戦後、再侵略を企てた欧米やからの独立に大きく貢献していますから。

これから、この教科書もどきの歪曲本の記述に気になる部分があれば随時紹介していきたいと思っております。



さっそく一つ目ですが、同書65ページ、【コラム・日本は韓国を「強占」したのか、「併合」したのか】に関してです。
この、「強占」か「併合」かに関しては韓国では非常に重要なことと言いますか、彼らは「不法な強占」としたく、また日本にも認めさせたいわけです。こういった一方的な押しつけが、彼らの云う「歴史認識の共有」なのですが、そもそも、「強占」などという日本語はありません。
また、

研究者の間では、1905年の条約締結が強制によるものだということについては、ほぼ共通理解が得られています。ただし、「併合」以後35年間に及んだ植民地支配が、国際法から見て合法的な状態にあったのか否かという問題に関しては、意見が異なっています。韓国の学者たちは不法と見なしていますが、日本の学者たちの間ではまだ結論が得られていません。

と、この教科書もどきには書かれていますが、そもそも、韓国の「学者」に日韓関係における研究の自由などというものはなく、諸君!4月号95ページにおいて、原田武夫国際戦略情報研究所代表・原田武夫氏も

いずれの国民国家にも、建国にあたっての「神話」は国民統合のために必要なものであるが、韓国の場合には「日本による植民地支配からの独立」がそれにあたる。(中略)したがって、日韓併合条約はあくまでも「無効」でなければならないのだ。これはもはや議論ではなく、「主張」である。

としています。また、韓国の「学者」が根拠のように使っており、このコラムの冒頭にもある、

国際法では、国家の代表者個人に対する強制によって結ばれた条約には法的な効力がないとされています。

というものは、おそらく、ウィーン条約法条約第五十一条や第五十二条を根拠にしているのでしょうが、そもそも、「ウィーン条約法条約」が成立したのは戦後、しかも日韓基本条約成立後の1969年であり、事後法が罷り通る韓国ならいず知らず、国際社会ではまったく通用しない話なのです。
また、このコラムでは《なぜか》当事国である日韓の「学者」の見解しか紹介しておらず、こういった学術的な研究においてかならず必要な中立性をもっとも得やすい、第三国・国際社会の見解が紹介されておりません。これは仮にも教科書を名乗る書籍として非常に危ういことです。なぜでしょうか。俺が邪推するに、国際社会においてすでに日韓併合は合法であったと結論が出ているからだと推測しています。
以下は少々長いですが古田博司氏の著書【東アジア「反日」トライアングル】よりの引用です。

2001年の11月16日に、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で国際学術会議が開かれることになった。これは韓国政府傘下の国際交流財団の財政支援のもとに、韓国の学者たちの主導で準備されたものだった。韓国側はもちろん、国際舞台で不法論を確定しようと初めから企図し、そのために国際学術会議を持ったのであり、それを謝罪と補償の要求の根拠にしたかったことは明白であった。そしてそこにはアメリカ、イギリス、韓国、それから日本の学者が集まり、日韓併合の歴史をどう考えるかということで論争が行なわれたのである。
この様子は、当時、『産経新聞』の2001年11月27日の記事ぐらいでしか公表されず、一般の目にはほとんど触れなかった。が、これはとても大きな、重要な会議だったのである。
韓国側はまず、いかに日本が不法に朝鮮を併合したかということを主張した。ところが、国際法の専門家でケンブリッジ大学のJ・クロフォード教授が強い合法論の主張を行なったのである。それは、当時の『産経新聞』の記事によると、「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことであって、日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった」という主張であった。
当然、韓国側はこれに猛反発し、日本に強制されたのだということを主張したわけだが、同教授は、「強制されたから不法という議論は第一次大戦(1914−18年)以降のもので、当時としては問題になるものではない」と、一喝した。その会議に参加した友人の学者によると、この結果、韓国側はショウ(該当漢字がない。りっしんべんに肖)然と肩を落として去っていったという。韓国側のもくろみは失敗に終わったのだが、日本では当時この様子はほとんど報道されることがなかった。

なんと、韓国が主導した国際学術会議で、日韓併合は合法であるとすでに結論付けられているのです。これは2001年のことですから、当然、この教科書もどきの執筆者も既知のことかと思いますが、どうなんでしょうか。
また、この教科書もどきでは

1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)は、大韓帝国の王宮を日本兵が制圧し、皇帝や閣僚が脅迫的な言葉でおどされるという状況の下で結ばれたものでした。

としている、第二次日韓協約に関して古田氏は同書でこうも述べています。

韓国の場合ですと、高宗という皇帝の膝下に五人の大臣がいた。1905年の第二次日韓協約のとき高宗が、「全面的に協約案を拒否することは隣の☆(該当漢字がない。よしみ)を保ちがたい。(中略)朕の心はすでに述べたとおりだ。そちたち好きなようにはからえ」と言ったとき、「情勢から判断して止むを得ない」としたのが、李完用、李☆(土へんに止)★(金へんに溶)《り・しよう》、李根沢、権重顕《ごん・じゅうけん》の四人。朴斉純《ぼく・さいじゅん》は「勅令があれば調印すべきだ」と、結局全員が賛成したのです。


ここまで杜撰なものは教科書とは呼べません。日韓併合に関するコラム一つとっても高校生にさえここまで突っ込まれるものを作るなら、「つくる会」を批判することなど不可能です。もしかしたら、あくまで推測ですが、この教科書、検定に通らなかったのかもしれません。


存在自体が間違っているといってもいい代物ですので、突っ込みどころがおおすぎ、たぶん、これ以上はつっこまないかもしれません……

*1:本文2ページ、4〜5行目

*2:この件に関し、この教科書もどきに記述はありません